死なせてくれない社会

このブログを定期的に読んで頂いている方は、「今月は本数が少ない」と思われているかもしれない。身内に不幸があり、ブログだけでなく連載原稿も何本かパスさせて頂いた。

「人は死を選べない」とよく言われるが、自殺以外、どこでどう息を引きとるかは自分で決められない。それが人間の運命であることはわかっているが、「最後の選択」は自らが決められないものなのか。

80歳を優に超えて十分に人生を楽しんだという実感があれば、「管につながれてまで長生きしたくない」と、多くの方は考えているかもしれない。

だが実際にはそう簡単に死なせてくれない、、、のが今の社会である。

たとえば寝たきりになり、口から物を食べられなくなると静脈から点滴で高カロリーの栄養剤を注入されて半年以上は生きることになる。

物を飲み込むという作業は普通の人であれば意識せずにできるが、実はくちびるから喉を通過するまでに30ほどの指令を脳に送っているという。

「管につながれてまで、、、」という意味はまさにこの状態で、物を食べられなくなった時点で臨終を覚悟できる人は多いだろうが、現在の医療現場では、ほとんどそのまま死ぬことを許してくれない。

それだけではない。80年代に米国で開発された胃ろう(PEG)を選択すれば、ベッドの上で寝たきりのまま5年以上も生きていられる。

胃ろうは胃に穴をあけて(腹壁を切開)、そこから直接水溶性の食べ物を流し込む処置をいう。過去数年、病院で胃ろうを行っている患者さんを何十人もみてきた。少し前の統計では、日本全国に26万人もの患者さんがいる。

本人がそれを望んでいれば何も言うことはない。ただ本人が望まないまま、胃ろうの処置をされる人もいる。「母親には1日でも、いや1秒でも長生きしてほしい」と言って、言葉がでなくなった母親の代わりに娘さんが胃ろうを選択したケースを見た。本当に母親がその選択を望んでいたのかはわからない。

少なくとも、認知症や脳卒中、その他の病気で患者本人ではなく、家族の判断で管につながれて生きざるを得ない状況がうまれているのは事実である。

若い時からどう死ぬかということを考え抜いていたとしても、いざ年老いて病気になり、自分の意思を医師に伝えられない場合が少なくない。

さらに、「点滴の管を抜いてくれ!」と言ったところで病院はそれを受け入れてくれない。抜いてしまうと病院側が殺人罪に問われないとも限らないからだ。やはり患者は自分の死に方を選べない。

そうなると尊厳死というオプションを考えざるをえない。過去何年か、日本でも尊厳死の法制化をすべきだと思っている。