東京のシャッター通り

日本全国の商店街で「シャッター通り」が増えている。

地方都市だけではない。東京都内でも商店街として成りたたなくなった町は少なくない。

実家の最寄り駅である西武新宿線沼袋駅。北に向かう道路の両側には商店がつらなり、今でも多くの人で賑わっているが、そこから歩を練馬区に進めると昼間でもゴーストタウンのような景観になる。

徳田(とくでん)と呼ばれる地域は、幼少の頃、何軒もの商店が連なった商店街だった。けれども、亡父とよく行った肉屋は何年も前に姿を消し、2店舗あった八百屋もなくなった。

昔は「かんぶつ屋」と言った総菜を売っていた店も、魚屋も蕎麦屋も店じまいしている。今でも残っているのはパン屋くらいだ。酒屋と八百屋の跡地にはコンビニがオープンした。

それでは、どうして商店にシャッターが下ろされたのだろうか。

都市郊外や地方都市であれば過疎化や大型店舗のオープンといった理由が考えられるが、実家周辺の人口は減るどころかむしろ増加している。スーパーに客をうばわれたとの要因も考えられるが、周囲に大型スーパーはない。

ましてや車を使って買い物をする地域ではない。商店の前に車は停められない。住民は徒歩か自転車で買い物をする。必要な物品をすべてコンビニで調達できるわけではないので、どこかで買いだしてこないといけない。

となると車を出して遠くのスーパーへ行くか、通勤の帰り道に買い物を済ませるか、ネット通販で買いつけているということになる。

もう昔のような商店街が戻ってこないことは誰もが知っている。「地方再生」という言葉がよく使われる。地域活性化のプランも練られるが、都内の人口密集地であってもシャッター化は防げない。

店主と話をしながら買い物をする時代は多くの地域ですでに過去のものになったということである。