気づかいの外がわ

いまだに慣れない、、、。

何のことかというと、公共での人の気づかいについてだ。この説明でもまだ分かりにくいので具体例を挙げたい。

妻と山手線に乗った時、空いた席が2つあった。だが空いた2席というのは男性が座った両隣。3席のまん中に座っている男性が右か左に動いてくれれば、妻と並んで座れる。よくある状況だ。

こうした時、日本ではこの男性の気づかいに期待する。なかには「すみません、ひとつずれていただけますか」という人もいるが、かなり稀である。「何も言わなくとも察する」文化が共有されている。

気づかないときは、そのまま男性を挟むようにして座る。この場合、この男性は気配りができていないと思われることがある。スマホの画面を見ていたり、本を読むことに集中していると周囲が見えないことがあるが、「ちょっとずれてくださいますか」と促す人は少ない。都内と地方でもまた違いがありそうだ。

私がアメリカから戻ってきた7年前、平気で見知らぬ人を促していた。だが、その行為が日本では少しばかり違和感をもたれることを学んだ。

アメリカでは逆に、気づかいによって自ら横にずれる人はほとんどいない。いないことはないがまずいない。それよりも、「ひとつずれてくださいますか」と言わない人がまずいないのだ。

それによって気分を害する人はいない。慣れもあるが、知らない人に要求することに抵抗がない。それをこころよく受け入れる。日本では知らない人に指示されることをあまりこころよく思わない心持ちがあるのかもしれない。

察するということは、こちらがモノを言うことを省けるということで、そこに美意識をもつ日本人はすごいと感じるが、声にだして言うべきときは発言すべきだとも思う。

先日、あるカフェにパソコンを持参して原稿を書いていた。そこは道路に面した窓際のカウンターに10人が座れるようになっている。各席にコンセントがあるので、多くの人はパソコンやタブレットを使っている。

西日が射していた。ブラインドが突然上から下りてきて、パソコンの上部にあたった。横にいた男性客がブラインドを下ろすことに何の異論もない。だが、「下ろしても構いませんか」「下ろします」という発言がない。いきなりドンである。

男性客を見た。こちらに視線を合わせない。「ちょっとあなたね、、、、」とは言わなかった。

この人は友人や知人にはいつも丁寧な対応をしているのかもしれない。だが公共の場で、他人に声を発しない。

言葉を失いましたか。それとも小さな勇気がでないのですか。他人に声をかけることに恐怖心を抱くのですか。それとも恥ずかしいのですか。

subway1.jpg