あまちゃん人気

NHKの朝ドラ『あまちゃん』の人気がすごい。

私は朝ドラを何十年も観ていなかったが、過去数年は朝8時になるとNHKにチャンネルを合わせるようになった。

『あまちゃん』では主役を演じる能年玲奈だけでなく、脇役たちの個性がたっている。脚本家、宮藤官九郎の業が活きている証拠だろう。

個人的に『あまちゃん』に惹かれる理由は、8月2日の小泉今日子のセリフに代弁されていた。宮藤の考えがそこに凝縮されていたように思う。

ご覧になっていない方は何のことかご理解いただけないだろうが、AKB48の音楽性に対する痛烈な批判がそこにあった。秋元康は「やられた」と思っていることだろう。荒巻太一(古田新太)が演じるプロデューサー役はまさに秋元そのものである。

その小泉のセリフは強烈だった。今の芸能界(AKB他)が失ったものを言葉にしている。まともに歌を歌えない、ダンスもできない、だが人気だけはあるタレントたちへの苦言でもある。

荒巻はレコーディングで、機械を駆使して聴くに堪えるだけの音にする。秋元がやっていることだ。小泉は言った。

 「どこまで器ちっちゃいの。普通にやって普通に売れるもん作んなさいよ」

多くの大人はこの言葉に共感するはずだ。コーラではないが、スカッとした。(敬称略)

元気ですか!

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トレードマークの赤いストールを首からかけて、「元気ですか!」と大声を張り上げたアントニオ猪木。5日午後、日本外国特派員協会の会見に現れた。

国会議員に返り咲いた4日後、北朝鮮ピョンヤンに飛んでいる。経緯を訊いた。

「先日の訪朝で26回目です。選挙前から7月25日に行くことになっていました。そこに選挙が入っただけです」

猪木が拉致問題解決の糸口を探れるのではないかとの期待がある。ピョンヤンでは金永南(キム・ヨンナム)や張成沢(チャン・ソンテク)らに会っている。だが、会談内容は語らない。

日本政府や官僚からは軽視された存在だが、それをものともしない姿勢は相変わらずである。猪木の拉致問題に対する考え方は一貫していて、北朝鮮に圧力をかけるだけでは決して解決しないというものだ。

外交舞台では、1国が勝利を収めて相手国が敗者という明白な勝ち負けは好ましい形ではない。少なくとも猪木はそれを理解する。最後に断言した。

「北朝鮮との外交チャンネルを私以上にもっている政治家は日本にはいない。日朝のトップ会談が1日も早く実現できる環境を作りたい。それが私の仕事。その道筋をつける自信はあります」

最後におきまりの「イチ、ニー、サン、ダー」で会場を盛り上げ、颯爽と去っていった。(敬称略)

新作映画『凶悪』

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試写会に招かれて、日活の最新映画『凶悪』を観てきた。

ヤクザ映画で、しかも死刑判決をうけた凶悪犯の告発という暗い内容から、当初は試写会に足を運ぶのを躊躇していた。

しかし最初のシーンから最後まで、眼を見開いてスクリーンの隅々にまで注意を払わないといけない、いやそうしていたい映画であった。一コマ一コマが丹念に撮られている。それが1つの物語としての完成度を高めていた。

全編にわたってヤクザとその首謀者による凶悪な殺人が描かれるが、それが日本社会の暗部をえぐり出している。「新潮45」に発表されたノンフィクションを元にした事件映画で、刺青の入ったヤクザを演じるのがピエール瀧、首謀者をリリー・フランキー、そして雑誌記者を山田孝之が好演している。

これまで、当ブログは特定の組織・団体、個人からの金銭的・思想的な利害から解放されてきており、思うままに諸事を書き連ねてきたし、今後もそのスタンスは変わらない。

だから人に「これについて書いてください」と言われると、逆に書かないことが多い。映画やレストランの寸評だけではない。自身が納得して初めて記すことが大切だろうと思う。何か偉そうだが、たぶんこうしたことが最も重視されるべきことだと考えている。

日活の広報にいるO氏は、私には何もプッシュしてこない。それがまたいい。『凶悪』は最近の邦画としては出色の出来である。9月21日公開。

またしても原発事故責任論

昨日、JBプレスで脱原発についての原稿を書いたところ、多くの方から賛同のご意見をいただいた(米国で一転、急速な広がり見せる原発不要論)。

本日午前10時でツイッターの反応とフェイスブックの「いいね」の合計が3600本を超えた。ありがたいことである。

雑誌や新聞で記事を書いて、読者の方からこれほどの反応を受けることはない。ネット原稿だからこその反応だ。

ただこれは私の記事だからというより、その内容に同調して頂いたということである。福島の原発事故以来、多くの一般市民は「原発はもういらない」という考え方にいたった。

これは当たり前のことで、いまだに原発が必要と考える方が不自然である。福島の惨事を目の当たりにしながら、今でも原発が必要といっている人間は、そのほとんどがカネのしがらみから抜け出せない面々である。安全性よりもカネが大事という人たちだ。

電力会社に貸し付けている金融機関が好例で、本当に原発を再稼働させたいのなら、自分たちがまず家族と一緒に原発敷地内に住んで「安全ですから」と宣言するくらいの気概を示すべきである。推進派の電力会社と財界人も同じである。

個人的にいまでも腑に落ちないのは、東電トップが社会的な事故責任を負っていないことである。私の言う事故責任とは刑事責任である。事故が直接起因して亡くなった住民がいないからというが、関連死はすでに1300人を超えた。

東電はすでに潰れた会社だが、経営陣の刑事責任はまた別である。

先日、オハイオ州で3人の女性を約10年間、自宅に監禁したアリエル・カストロが死刑のかわりに禁固1000年の刑を受け入れた。独房に1000年である。司法取引だったが、ここには検察側の死ぬまで塀の外には出さないという強い意志がある。

アメリカは異常と呼べるような犯罪も多いが、その分刑罰も重い。逆に日本は甘すぎる。そう考えるのは私だけだろうか。