魂の遺跡

今年もいろいろな土地を旅してきた。

ふり返ると、高校一年の時に沖縄に旅にでて以来、大げさな言い方をすると「日常生活からの脱出」を絶えず試みてきたということである。

友人や伴侶と旅をしたこともあったが、基本的には一人である。いや旅は一人でないと魅力が半減する。今あらためてそう思う。

それは立ち止まる自由と突き進む自由をものにできるからである。石畳の路傍を進みながらふと歩をとめて、街の中に身を溶かす。それが20秒の時もあれば、5分の場合もある。

逆に、勝手気ままに3時間も歩きつづける時がある。それは時間を自分のものにするということである。

旅には生産性がともなわない。時間と資金を使うだけである。ところが都市での日常生活は金銭を得るための生産性が求められる。

歴史ある土地に降り立った時は、時間と空間が心の中で幾層にも折りかさなり、眼にみえない「魂の遺跡」と呼べるような残影を感じることがある。

それは何も浮遊霊といった怖気をいだかせる類いのものではない。皮膚だけで知覚する過去の厚みである。

その時ばかりは大脳はサイドラインの外側に控えてもらうしかない。

感じるだけである。それが私の旅の流儀である。

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Back street in Paris