メディアができること

インターネットの「日常化」によって、一般的な情報だけでなく世界中のニュースがとめどなく入ってくる。

テレビや新聞のニュースには時間と紙面に大きな制約があるので、印象としては世界のニュースの30分の1くらいしか大手メディアでは報道されていない。

たとえば昨日だけでも、イラクではアルカイダの新たな攻撃で106人が死亡し、シリアの内戦では77人が犠牲になった。そしてメキシコでは麻薬マフィアの抗争によって49人が殺害されている。

3国では人が殺害されることがあまりにも日常的になってしまったので、計200名以上が亡くなっても日米では大きく取り上げられもしない。それよりもアメリカのコロラド州銃乱射事件で12人が亡くなったニュースの方が扱いが大きい。

しかし、イラクやシリア、メキシコでの被害者の背後には家族や友人・知人がおり、人が他界するという憂事において、その悲嘆のレベルは日本と同じである。ニュースが伝えるのは悲劇という事実だけだ。

報道機関の中には、そこから何かできるとの意識を抱えるところもある。しかしそれはほとんどの場合、幻想に過ぎない。

メディアは世の中を変えはしない。今起きていることを報道することで、次へのステップを呼び起こすお囃子の役割を担っているに過ぎない。

世の中を変えるのはただ実践あるのみである。