デモ参加者が本当にやるべきこと

13日金曜夕刻、首相官邸前の反原発デモに参加してきた。労働組合でも学生セクトでもないデモの発生は日本では珍しい。

永田町だけでなく、その日は全国各地で反原発デモが起きていた。チュニジアやエジプトのような政府転覆を目的にした武力闘争ではないが、市民の思いが行動へとかき立てたという点で意義深い。

ただ残念なことがいくつもある。

デモは規模が大きくなればなるほど国家(警視庁)の規制を強めるという作用があって、官邸デモは警視庁によってほとんど思いどおりに行動を規制されてしまっていた。今後参加者が10万人超になり、公道にあふれ出るようになると機動隊が出動してくる。

アメリカや日本のような先進国では、デモ隊が国家をゆり動かすことはほとんど無理という歴史的事実を知らなくてはいけない。政治家もこうしたデモで自身の思想を変えるということはほとんどない。

私は首都ワシントンで過去30年の間に、数万から100万人ほどのデモをいくつも見てきたので、 声を張り上げると同時にデモ参加者は他の政治行動も取る必要があることを痛感している。それでないと叫んだだけで終わってしまう。

その一つが政治家を「普通の人」にさせる運動だ。首相の野田は千葉4区が選挙区で、次の選挙で落選させる運動を徹底するのである。先日、千葉県出身の民主党議員から「野田は県連さえもまとめられていない」という言葉を聞いているので、首相であっても選挙基盤は盤石ではない。

小選挙区でまず落とす運動を徹底する。政治家にとって一番怖いのが落選である。企業であれば非売運動を展開し、スポンサーに働きかける。

1995年の文藝春秋「マルコポーロ」誌廃刊事件と同じ運動をすればいいのである。あの事件は同誌が第2次大戦中ナチスドイツの「ガス室はなかった」とする記事を掲載したことに対し、ユダヤ系団体サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が文春のスポンサーに広告停止を呼びかけて廃刊に追い込んだものだ。

関電に対してピンポイントで同様の運動を展開すれば、大飯原発は今後ふたたび停止する可能性がある。多くの市民の声を1点に集約させないと、運動は結実しない。(敬称略)