パウル・クレー展

  

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この絵を観て、「あっ、パウル・クレーね」と言える方はかなり絵画に詳しいはずである。

19世紀後半、スイスで生まれたクレーはフランスの印象派の画家たちとは一線を画して、独自の画風を求めつづけた。千代田区の東京国立近代美術館で5月末から開かれていたパウル・クレー展が終わるので、「駆け込み入場」してきた。

具象でも抽象でもない領域に自分のスペースを確立すると同時に、たえず新しい技法に挑戦した芸術家である。描いた絵を物理的に2つに切り、回転させ、そして結合させるといった3次元的な試みをしたり、さらに過去の絵を使うことで4次元的な施しもしている。

それは「1つの場所に立ち止まるな、求め続けろ」というメッセージにも受け取れた。

生前、「アートは見えないものを見えるようにする」と主張していた人らしい作品群に触れて、いい刺激をもらえた。

企業全体がマーケティングのエンジン

新しいマーケティングの手法がいたる所で試されている。しかもその変転は早く、英語でいう「カッティング・エッジ(Cutting Edge・最先端)」の手法が毎日のように生み出され、マーケティングの定義が再構築されているといっても過言ではない。

マーケティングのプロでさえ、成功を導きだすための「正解はない」と述べているほどマーケティングの世界は時代と共に進化している。同時に、最先端の手法はいくつかの方向に伸びているのが特徴的だ。

その中で注目に値する手法は、企業全体を「マーケティングのエンジン」と見なす考え方だ。これまでマーケティングの職務は、マーケティング部門だけに任せる傾向が強く見られた。しかし今後は、企業全体でその責任を負うという姿勢が興隆してきている。

企業人にとってマーケティングというのは、狭義では広告・宣伝、販売促進活動などを指すことが多い。広義としては、商品企画から製造、流通、営業、顧客管理まで企業活動のほとんどをマーケティングと捉える流れがあり、そこに最新トレンドを見ることができる、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

ノルウェー人テロリストの奇怪

ジャーナリストという職業柄、これまで多くの国でさまざまな人とかかわり合いをもってきた。言語や宗教、生活習慣がちがっても、「この人の生き方はまったく理解できない」とため息をついたことはほとんどない。

だが、ノルウェーのテロリスト、アンネシュ・ブライビークについては考え方に溝どころか異星人と思えるほどの隔たりを感じる。

   

                          

3年かけて書いたとされる1518頁のマニフェストをダウンロードして速読してみた。大きく5章に分かれており、ヨーロッパの歴史から今回のテロ事件で使用した爆発物の製造方法までが詳細に記されている(上記の写真は1512頁に掲載されている)。

多民族主義とイスラム教に不信感を抱く人間がいることは十分に理解できるが、そこから無差別テロに走らざるを得ないプロセスが理解できない。何が彼を殺人に走らせたのか。そこにどういう意味を持たせられると思ったのか。

マニフェストの560頁目には、「21世紀は言論の自由が保証された、バランスのとれた機能的な社会システムが採用されるべきであり、法の下で市民は平等が約束されてしかるべきだ」とある。しごく当然と思える内容の記述もあり、全頁にわたって極論が展開されているわけではない。

だが、イスラム教徒に対する差別意識はいたるところにちりばめられている。彼らに怖気を抱いたと考えられるが、そこからテロ襲撃の実践までには大きな飛躍がある。空間がありすぎる。私にはそこがわからない。

「私は専制的な抑圧者に対抗するため私欲を捨てる」

と書く内容と今回の政府ビル爆破と銃乱射は、常人であればけっしてつながらない項目である。

さらにマニフェストの最後の100頁で、硝酸アンモニウム肥料を使った爆弾の製造方法を詳細に記している。1995年のオクラホマ市の連邦ビル爆破事件でティモシー・マクベイが使った爆弾と同じものであるが、あまりに醒めた筆致にはこちらが怖気を感じる。

02年にインドネシアのバリ島で起きた爆破事件も同じ肥料が爆弾材料に使われているだけに、今後、真似されないことを祈るのみである。

ひさしぶりに理解に苦しむ文章と行動に接し、奇怪な感情につつまれている。

Dropping by 東大

久しぶりに東大の本郷キャンパスに出向いた。

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現代アメリカ政治のセミナーに出席するためだ。若手の学者を中心にした研究発表があり、アメリカの議会政治についての分析を聞いた。

いつもはジャーナリストとして事件から大統領選挙までを俯瞰しているが、虫眼鏡で一点を集中してアメリカを観るようなアカデミズムのアプローチも重要である。

ただ自身は在野の人間、というより外にいないと息ができないタイプであることを再確認しながら帰路についた。

MBAが企業を悪くさせる?!

MBAが増えすぎたことで経営が悪化する―。

経営のプロを養成するビジネススクール。MBAの功罪は長年広く議論されているが、アメリカ財界の一部で今、MBAの存在意義に疑問が投げかけられている。

その理由の1つがアメリカ製造業の競争力低下にある。MBAの資格を持つ経営者が大企業のトップに君臨しはじめたことが起因しているとの仮説がある。ゼネラル・モーターズ(GM)のロバート・ルッツ前副会長の最新刊『クルマ屋VS経理屋:ビジネス魂を求める戦い(仮題)』では、MBA経営者が増えすぎたことがアメリカのモノ作りの力の低下につながったと指摘している。

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          デトロイトのGM本社ビル

1年ほど前、本コラムの「サンプル」でアメリカ製造業の衰興について記した。同業界はすでに衰退したと思われがちだが、実は生産高は今も上昇し続けている。モノ作りの内側に変化が生じているだけである。

ただ財務諸表を気にする傾向が強いMBA出身の経営者たちは、コスト削減に重きを置くことで製造を軽視しつづけてきた一面があり、それがビッグ3の衰退につながったと説いている。

実はルッツ氏自身、カリフォルニア州立大学バークレー校でMBAを取得しているが、MBAが企業経営の万能な力を持っているわけではなく、すべての業界で秀逸であるというのは幻想に過ぎないと主張している、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。