ツイッターの枠

ほとんどの事物にはプラスとマイナスの要素が共存する。ツイッターもそうである。

              

新しいことをはじめる時、プラス要素がどれだけ得られるかをワクワクしながらスタートできる人は前向きな気質だといえるが、ワクワクしないどころか恐怖心を抱く人もいて、そうした人はあきらかにマイナス要素に目がいっている。

これは「若い・若くない」という判断基準によってでは説明できない。20代でも新しいことに躊躇する人は大勢いる。中高生が新しいことをはじめる動機の一つは「友人がやっているから」、「周囲がみんなやっているので」というもので、誰もやっていないことを新しくはじめる人は少ない。

ツイッターはITに強い10代の若者がさかんにやっているように思えるが、日本でもアメリカでも中心的なユーザーは30代と40代である。

自分のつぶやく一言、二言が世間に公開されるという事実は、慣れないと怖い。反論や糾弾を恐れる人もいる。ある人はそれを躊躇する理由にあげる。さらに他人のつぶやきを読んで何になるのかとの声も多い。

ツイッターはブログと違って「炎上」する危険性は少ないが、もちろん他者から批判されることはある。

幸いというか不幸というか、私は2002年からホームページ、そして後にブログ、さらにオンライン誌でも書き、フェイスブックとツイッターにも足を突っ込み、自身のメールアドレスも公開しているので批判はやってくる。

先日も、お前は「アキメクラか!」という罵倒があった。しっかりした文章の非難だったので、笑いながら返事を書いた。2ちゃんねるでは「バーカ、死ね」が「こんにちは」と同義語のようなものなので、ネットに現出される感情の発露は人間の本音に近いもので、なんということはない。実際に殴られるわけではない。

ツイッターを始めてからまだ1カ月半だが、かなりまともなメディアである。想像を超えていた。やってみないとわからないものである。フェイスブックもツイッターも主に英語でやっているので、文字通り世界中のユーザーと双方向でつながっている。

当初、ツイッターはつぶやきだけかと思っていたが違った。知らない世界の扉をあけたような印象である。たとえば、ダライ・ラマが毎日つぶやく。それは想定内である。驚いたのは、自身のリサーチでは達することがない情報がつぶやきの中にURLの形で添付されていることだった。

これには脱帽であった。ツイッターを始めてもっともよかったと思ったのは添付のサイトを開いた時である。

ただ少し癪にさわるのは、すべてがアメリカ発ということである。アメリカの衰退や貧困が叫ばれているが、あの国はまだ伸びている。拙著『なぜアメリカの金融エリートの報酬は下がらないのか』の後半3分の1は、アメリカの明るい未来に注目している。