北の町へ

「景気は最悪ですね」

タクシーの運転手は言いなれたような口調だった。小雪が舞う函館でタクシーに乗り、街中をすすむとシャッターの閉まった店が目につく。

「ますます悪くなってますよ。東京にすべてが行っています。北海道では札幌にすべてを持っていかれている」

地方に元気がないといわれて久しい。「シャッター通り」という表現は全国で聴かれる。函館のメインストリートである電車通りは、みたところ2軒に1軒は日中でもシャッターを下ろしている。人影もまばらである。

特に市の西側の衰退が顕著だ。ゴーストタウンとまでは行かないが、捨てられた町という印象である。東京の雑踏と比較するとなおさらそう感じる。函館が1859年の日米修好通商条約で開港した当初、町は西側に築かれた。「箱館」と書かれた時代だ。だが、時代は変わった。今では西側から忘れ去られている。レンガ建ての倉庫街は観光者だけのものだ。

アメリカでも多くの地方都市は函館と同じである。私が訪れた都市だけでも何十もが函館と同じ運命にある。例えばデトロイトがそうだ。かつては200万もいた人口が現在は100万を切った。市の中心部はもはやゴーストタウンである。

「モータウン」といわれる自動車の町はいまや死の町と言ってさしつかえない。再開発が一部で進んではいるが、古き良き時代の活気が蘇ることはないだろう。

日米で共通することは多い。地方を支えるために政府が公共事業のカネをばら撒いた時代があった。けれども、中央政府が地方を支えられる時代ではない。地場産業が芽生えて「流れに乗っている」と言い切れる地方都市に生まれ変われるのは例外である。

悪いことに、今後は高齢者が多くなるため、地方都市の景気回復はおぼつかない。経済産業省が多くの地方活性化プロジェクトを推し進めていることは知っているが、函館に元気が戻ったと言えるまでには何年も必要だろう。

人口29万。道内3位の都市は観光と漁業に頼ってきた。最近ではIT企業が伸びてきているが、全市を巻き込んだ産業再編にはいたっていない。海産物をメインにしたどんぶりものは美味だが、観光者の食欲を満たして終わりである。

社会格差と都市の格差はますます広がっている。それを埋め合わせる効率的な手立ては多くない。自発的な地方への移住がいろいろなところで語られている。余生を送るためだけではなく、新たにビジネスをはじめたり、のびのびした土地のひろがりを体感する意味でも地方移住は悪いアイデアではない。

けれども、タクシーの運転手が悲観的なことを言った。

「東京にずっと住んでいた人が函館に移住しにきますよ。でも、結局また東京に戻ってしまう人がずいぶんいます。退屈ですからね。この町は」

「おいしい海産物があるじゃないですか」と言ってみたが、それが景気回復の原動力にならないことは運転手が一番よく知っていることである。明日は雑然とした東京に戻る。