やる気ですか、大統領?

3日前の当ブログで、アメリカがいまイランとの交戦に向けていくつもの布石を打っているという記事をご紹介した(イラン攻撃へ準備整えた米国、一触即発の危機)。

アメリカ時間18日、いよいよという流れで米軍の強襲揚陸艦「USSボクサー」がホルムズ海峡でイランのドローンを撃墜し、両国の緊張がより高まっている。6月20日にイランがアメリカのドローンを撃墜したので、「お返し」という動きでもある。

ベトナム戦争の契機となったトンキン湾事件では、連邦議会も圧倒的多数でベトナム戦争介入を支持した。後年になってアメリカ側が仕組んだ事件だったことが判明するが、時すでに遅しで、ジョンソン政権は長期におよぶベトナム戦争に突入してしまう。

仮にイランと戦争になると、長期戦になることが予想されるので、アメリカ・イラン両国だけでなく関係国にとってマイナス面しか頭に浮かばない。

ただ状況を冷静に眺めると、このまますぐに戦争に行くとは思えない。トランプはツイッターで「ボクサーはイランのドローンに防衛行動をとった」と記しただけで、すぐに交戦にいたる流れではない。むしろ、いまの時点で行動を自重することが肝心で、イランなどすぐに壊滅できるなどといった誤認をトランプが信じて過激な軍事行動にでないことを切に望む。

いくらトランプが暴君であっても、ペンタゴンの将軍たちが「イランはイラクのようにはいかない」という事実を伝え、間違った行動をトランプに起こさせないようにしなくてはいけない。ペンタゴンだけでなく、直接電話で話ができる安倍がこういう時にトランプに箴言すべきである。(敬称略)

トランプ来日に思う

トランプが来日し、日本のテレビや新聞は大騒ぎである。国技館では升席を外して特別席を設置する破格の扱いだ。

過去何十年と続いてきたアメリカ優遇の姿勢が、いまだに日本の隅々にまで染みわたっているかのようですらある。それは特に日本の政財界トップに顕著にみられることで、「アメリカには逆らえない」という思いが底流としてあるからなのだろう。

トランプ来日直前、経団連会長の中西宏明は「トラの尾を踏まないよう、対応策をしっかりとらないといけない」と発言した。21世紀、いや令和の時代になってもいまだに「トラの尾を踏まないように」といった消極的な発言をアメリカに使っている。

それほどアメリカが怖いのかと思う。トランプに張り手を食らわせることは決してしないのだ。理念よりも実利を取る政策はほとんど揺るぎがないと言えるほどである。

突っ張ることで制裁関税を課され、巨額の損失を被るよりはマシとの考え方があることは分かる。だが、一国家が国益を追求し、時に理念を押し通すことも必要だ。

いつかそんな日は来るのだろうか。(敬称略)

トランプの本性

トランプがまた毒づいた。米時間5月20日、イランに対して強烈なカウンターパンチを食らわせた。ツイッターでこう呟いている。

「イランが(米国との)戦いを望むなら、その時はイランが本当に終わる時だ。だから決して米国を威嚇するなよ!」

民主国家の大統領が使うべき表現ではない。

他の大統領であっても、同じようなことを考える人はいるだろうが、言葉を選ばないといけない。アメリカが本気になって米軍を総動員させたらイランが敵わないことは子どもでもわかる。だからこそアメリカは配慮ある言動をしなくてはいけない。

高圧的なツイッター外交は止めないと恥ずかしい!

上皇天皇が述べた「平和の海」

平成の時代に天皇だった明仁さまは今、上皇明仁と呼ばれる。いまも昔もすぐにお目にかかれる方ではないが、1993年6月、私はホワイトハウスでお目にかかる機会があった。

当時のビル・クリントン大統領が両陛下をワシントンに招待し、ローズガーデンという南庭で両陛下にお目にかかったのだ。私は前年にホワイトハウスの記者証を得ていたので、日本人ということもあり招待されていた。

陛下はクリントン氏と招待客に対して長めのご挨拶をされた。その中で、ドワイト・アイゼンハワー大統領を訪ねて以前にもホワイトハウスを訪れていたことを知った。

もっとも印象的だったのは、日米両国の関係に言及された時の言葉だった。「これからも平和な交流が長く保たれ、太平洋が『平和の海』になることを切に希望します」と話されたのだ。

「平和の海」という言葉は新鮮だった。いまでも新鮮な響きがある。知性主義に根ざした両国の思いがその言葉に集約されているように感じ、大変心地よかったと同時に実践していかなくてはいけない、と思ったことを覚えている。

トランプ大統領が国賓として今月下旬に来日する。そこで同大統領はいったい何を語るのだろうか。

rosegarden5.9.19

クジラに乗る

感触は柔らかめのタイヤ—。

クジラの背中にまたがって海面をすべる・・・夢をみた。不思議な夢だった。数日前に、友人にクジラ獲りの話をしたからかもしれない。

私は商業捕鯨には反対だが、生存捕鯨はいたしかたないと考えている。30年以上前、米アラスカ州北端のバローという町で生存捕鯨を取材したことがある。

イヌピアットという先住民族は5月になると、アザラシの皮で造ったカヌーに乗って北極海に漕ぎだす。氷が溶け始めて割れ目ができるとクジラが北上してくるので、そこを狙うのだ。

彼らは自分たちが食べるためだけに銛を投げこむ。銛がクジラに命中すると、無線で村中に知らせがまわって大人も子どもも氷上に集まってくる。何十人もが綱引きをするようにしてクジラを海から氷上にひっぱり揚げる。それは1年間待ちに待った祭りのようで、周囲は歓喜と喜悦につつまれる。

男たちはすぐに大きなナタを手にして解体をはじめる。まずタイヤのような表皮と真っ白な脂肪を剥いでいく。長さ50センチ、幅30センチくらいのブロックに切って氷の上に並べる。その脂肪のかたまりを今度は一片2センチほどのサイコロ大にする。

氷上にはコンロと大きな鍋が用意され、サイコロ大の脂肪を茹でるのだ。海水で茹でたと記憶している。茹で上がると、バサッと氷の上にすべてをぶちまける。子どもたちは待ってましたとばかりに脂肪の塊を口に入れる。まるでチョコレートを奪い取るような忙しさで、いくつもいくつも食べるのだ。

さぞやおいしいのだろうと、私も1つ口の中に放り込んだ。

「ウグゥゥゥゥ」

飲み込めなかった。というのも、ガソリンを口の中に入れたような味とニオイだったからだ。飲み込むことは困難で、すぐにその場から走り去って皆に見えないように氷上に吐き捨てた。それほどガソリン臭が強かった。いまでもあの体験は鮮烈に脳裏に焼きついている。

クジラに乗った昨晩の夢から30年以上前のクジラ獲りの思い出が蘇った。