テレビニュースというのもの

このところトランプの言動が静かなので、放送メディアもアメリカものをあまり扱わない。こうした時にゆっくりとテレビのニュース報道というものを顧みることも大切だろうと思う。

テレビの報道・情報番組はキャスターをはじめコメンテーターがさまざまなコメントを言うが、硬派の番組であればあるほど常道から外れたコメントは少なく、視聴者が潜在的に、または意識的に考えている内容の追認が多くなる。

視聴者は逆にテレビを観ながらコメンテーターをこけおどしたり、「この人またこんなこと言ってるよ」と辛口のコメントを繰り出していたりする。視聴者は意外なほど醒めていることが多い。テレビというのは本質的にそういう媒体なのだろうと思う。

たとえば、殺人事件があって幼児が殺害されたというニュースがあったとする。視聴者は悲劇を悲劇として受け取るのではなく、悲劇という事実を認識するだけなので涙もでない。

しかも容疑者が浮上すると、テレビは限られた時間の中でシロクロをつけようとするので、容疑者を徹底して悪者として扱い、どういった経緯があったかにゆっくりと時間を割かない。公判になって意外な事実がでてきても、同じ報道番組がさかのぼって同事件と裁判の内容を報道することは稀だ。

ただテレビに出演するようになって、逆に放送メディアの奥深さも知った。2分ほどの限られたコメントであっても、視聴者は敏感に私の持つ情報量と知識の深度、思考の論理性を察知しているということだ。極端ないい方をすれば「アホなコメント」ひとつで終わる世界なのである。

それだけに、ネットの時代になってもテレビは無視できないということである。(敬称略)

大統領の夏休み

トランプはいまニュージャージー州で夏休みを過ごしている。

彼のような億万長者であれば、もう少し遠くのリゾートか島に行くオプションもあったとも思えるが、いま滞在している場所は昨年の夏休みにもきたところで、ベッドミンスターという。

bedminster8.9.18

Photo from Youtube

ニューヨーク市から40キロほどしか離れていない。なぜベッドミンスターかといえば、「トランプ・ナショナル・ゴルフクラブ」という自身が所有するゴルフ場があるためだ。敷地内には大邸宅もある。

フロリダにも別荘はあるが、アメリカ人にとって夏場にフロリダに行くのはオシャレではない。暑すぎるからだ。寒い時期にこそ行くべき場所という認識がある。

トランプは2002年、入札に出されていたベッドミンスターのゴルフ場を3500万ドル(約38億円)で手にいれている。2年かけて36ホールのゴルフ場を整備し、一般ゴルファーもプレーできるようにした。

ちなみに総敷地面積は520エーカーで、東京ドーム45個分の広さがあり、現在の価値は5000万ドル(約55億円)と言われている。

トランプはそこで連日ゴルフをしているが、歴代の大統領がそうだったように、毎日国内外の政治・経済情勢のブリーフィングも受けている。

休みといっても、スタッフともどもホワイトハウスを移動させたようなもので、トランプはかなりの本数のツイートを発信している。

たぶん自分では書かず、側近に打ち込ませているはずだが、それはまるで泳ぐことを止められないマグロのようでもある。ゆっくり休むことを知らないというより、休めない体質なのかとも思う。

きっと思っているはずである。

「こんな楽しい仕事は絶対にやめない」

英語の話し方

本屋の英語関連のコーナーにいくと、何十年も前から変わらない光景がある。

「どうしたら英語が話せるようになるか」をテーマにした本がたくさん平積みにされていることだ。溢れんばかりの数である。

多くの方が英語を話したいと思っていながら、なかなか叶わない現実がそこにある。

ちなみにアマゾンのブック検索で「英会話」と入力すると、書籍数は「1万点以上」とでる。1万点である。ウェブサイトの最初のページには27冊の英会話本が並び、そのうち7冊に「ベストセラー」という帯がついていた。

すでに多くの方は、いくら英会話本を読んでもペラペラにはならないことを知っているが、脳裏のどこかで「この本だけは例外かもしれない」という期待があり、目新しいタイトルの本に手を伸ばしてしまう。

何冊読んでも、付録のCDを聴いても、単語やイディオムをたくさん覚えても、やはりペラペラにはならず、「今回も無理か」といった半ば諦めに近い心境に陥ってしまう。

英会話本だけでない。最近はオンライン英会話もある。また多くの方は英会話学校に入って英米人の先生のもとで勉強された経験があるかもしれない。私もそうだった。1982年に留学する前、英会話学校に通ったが落ちこぼれた。ペラペラになりたいとの思いは強かったが続かず、学校にいかなくなった。

「ああ、これで一生英語は話せないんだなあ」と思った瞬間をいまでも鮮明に覚えている。

それでも留学する気持ちだけは強かったので、手続きをすすめ、TOEFLを受けて渡米する。留学できたことは幸運だったと思う。ただ自分で本当に英語を話していると実感できたのは、渡米後2年目くらいからである。

留学という生活環境の変化がなければ、私の場合は英語を身につけられなかっただろうと思う。日本にいながらにしてペラペラになる方もいるが、並大抵の努力ではないはずで、やはり大多数の方はしゃべれないままというのが現実であろうと思う。

語学だけはサクサクッと短期間でマスターすることができない分野なので、「日本にいながらにして」という条件下であれば、ネイティブ・スピーカーを無理やり生活圏のなかに引き入れる方法が最良だろうと思う。

留学生をホームステイさせる、留学生をルームメイトにする、留学生とつき合うなど、毎日あらゆる場面で、彼らがどういう英語表現を使うかを見聞きしていかないかぎり、オールラウンドのペラペラにはなれないだろうというのが私の答えである。

英会話本にはほとんどの人が共有する限界がある。

あるようでない・・・におい

電車の席で本を読んでいると、とつぜん鼻にガツンとくるにおいが襲ってきた。右隣りに男性が腰をおろしたのだ。

においは眼にみえないものだけれども「ガツン」という物理的なパンチに似ていた。しかも日本人が持つにおいではない。

首を右に回せばすぐにどういった人なのか判別できるが、しなった。右目の端から浅黒い彼の左手が見えた。インド人かインドネシア人らしき肌の質感と色見だった。

彼が座ったあともガツンは断続的にきていた。何年か前にインドにいったときに鼻腔にやってきたにおいに似ていた。

においにはクサイ時の臭い(におい)と香しい時の匂い(におい)があるが、彼のにおいはその中間点からややクサイ方に傾いたものだった。

ただ男性用コロンが混ざっていたので、独特なにおいが醸されていた。

眼を閉じると、インドのプシュカルという町を訪れた時の光景が蘇った。粗末なカフェでチャイをすすった時、横に座った男性がまさに今日のガツンだったからだ(時間のなくしかた)。

ずっと忘れないにおいというものがあることを今日、再確認できたと同時に、インドの懐かしい思い出がしばらく明滅して嬉しくなった。

DSC01103

 

あるようでない・・・店

友人のカメラマンといつもの店で話し込んだ。ブログの顔写真を撮ってくれた人である。

この店はこちらから注文しなくとも、手作りのお惣菜を次から次へとテーブルに並べてくれるところで、世間的には小料理屋というカテゴリーに入る。カウンターの前には日替わりのお惣菜が5、6種類、大きなお皿に入れられていて、いつもすべてを試したい衝動に駆られる。

メニューはそれ以外に何十種類もあり、ドラえもんの四次元ポケットのようにあれもこれもといった具合に繰り出される。「カレーは?」と訊くと「あるわよ」とママは当たり前の笑顔をつくっている。

昨晩は予約の電話をしてあったので、テーブルにはすでに焼酎のボトルが置かれていた。何も言わなくとも趣向をこらした肴をいくつもだしてくれたが、日によっては入店直後に皿の中を覗いて「これとこれとこれ」と指を差して取り分けてもらうこともある。

バンダナを巻いた若いバイト店員が切り盛りする居酒屋と違い、手作り、気配り、ぬくもりがそこかしこに溢れていて、笑顔が止まらない。

手作り惣菜で飲めるお店として飲食関係のウェブサイトや雑誌から店を紹介させてほしいと絶えまなく来るが、ママは決してハイと言わない。

「お客さんがたくさんきてしまうと常連さんが入れないから」

だから当ブログでも紹介するわけにはいかない・・・ゴメンちゃい!