忠犬という生き方

安倍・トランプ会談はこれまで続いてきた日米関係の本筋からまったく逸脱することのない、「日本がアメリカにつき従う」関係以外のなにものでもないことをよく表していた。

イスラム圏7カ国の出身者を一時的にアメリカに入れないという大統領令に対して、安倍がコメントを控えたことでも日本政府の態度がよくわかる。

主人(アメリカ)に対して決して逆らわない忠犬の態度である。主人が愛犬に仕打ちをしたとしても、愛犬は耐えて、そばに寄り添う。何があっても主人を裏切らない。

「待て」と言えばずっと待つ。主人にはその姿が愛おしく感じられる。トランプの安倍に対する厚遇はまさに忠犬を慰める主人にしか見えなかった。

ヨーロッパ諸国や隣国メキシコがトランプに批判的なことをいうのに対し、日本はつき従っている。それが戦後の日本の外交路線だったので、わかりやすい。

特に安全保障政策では米軍に「安乗り」をするという吉田ドクトリンが、いまでも国家戦略として生きている証拠だ。旧ソ連を封じ込め、旧日本軍を復活させないため、元国務長官のジョン・フォスター・ダレスと吉田茂が米軍を日本に残すという選択は機能した。

だが戦後72年たち、日本は新たな国家戦略を策定すべきである。それはアメリカとの喧嘩を意味しない。自主防衛と同時に、日本の政策を安全保障、経済の分野で確立して実行することである。

もし大多数の日本人がアメリカの忠犬のままでいいというのであれば、私はもう何も言わない。

だが基本的人権を無視し、横暴な言動をとるトランプに追従するというのは、日本もトランプと同じように他国の人権を蹂躙しても構わないという立場にいることを意味する。

アメリカに「ノー」と言うことはある意味でたやすい。その前に安全保障・経済両面での国家戦略を確立することが重要なのだ。時速200キロのハリケーンがきても揺るがない国家戦略を生み出すことである。(敬称略)