もうひとつの長寿番組の終焉

タモリの「笑っていいとも」が終わったと前回のブログに書いたら(どこまでが天性なのか)、今度はアメリカの長寿番組の司会者デイビッド・レターマンが来年中に降板するという。

日本ではほとんど馴染みのない人だが、アメリカでは知らない人がいない。3大ネットワークのひとつCBSで「Late Show」という夜11時代の番組を長年つづけてきた。CBSに移る前はNBCでも同じような番組の司会を務めていたコメディアンだ。タモリと同じ1982年に番組を始めているが、「笑っていいとも」のような生番組ではない。

アメリカではその時間枠の番組構成が過去何十年も変わっていない。司会にコメディアンが起用され、番組の冒頭では毎日ジョークをいくつも繰りだす。

私は1982年に留学でアメリカに渡った時から、なるべくその時間は番組を観るようにしていた。最初はジョニー・カーソンという人を観ていたが、彼が辞めたあとはレターマンにチャンネルを合わせた。というのも、彼らの繰りだすジョークが英語の勉強に役立つと思ったからだ。 

役立つというより、どれだけ聴き取れるかが英語力のバロメーターになると考えていた。最初はまったく笑えなかった。というより、何の話題のジョークであるかさえもわからなかった。

そのうちに、「クリントンについてのジョークだな」ということはわかってきたが、最後のオチで笑えない。ジョークは構成作家やスタッフと一緒に練りこまれており、英語力だけでなく、アメリカ社会についての知識がないと笑えないことが多い。アメリカを包括的にどれだけ理解しているかを如実にしめすものでもあった。

辛いのは、周囲にアメリカ人がいるときだ。皆が笑っているのに1人だけ笑わないのは奇異にうつる。最初の頃は皆が笑ったあとに一呼吸遅れて「ヘッヘッヘ」とやっていた。実に虚しかった。

そのうちにジョークの意味がわかり、一緒に笑える時がきたが、それでもすべてのジョークで笑顔をつくれない。英語が聴きとれたとしても、話の主人公に馴染みがなかったりするからだ。

さらに笑えない時もあった。英語もオチも理解しても「ジョークとして面白いか?」という時である。日米両国には笑いのツボに微妙な違いがある。

ただレターマンとタモリに共通するところは、どんなゲストが登場してもわけ隔てなく接し、知らぬうちに視聴者を楽しませていることだ。前回も書いたが、それも天質といえるだろう。

2人が毎日つづく番組から姿を消すのはやはり寂しい。