タクシーの中へ

私はマイカーを持たない。その代わり、タクシーにたくさん乗る。たくさんといっても年間200回くらいだ。

それだけ乗るなら車を持った方がいいと思われるかもしれない。けれども200回くらいだと、東京都内の移動はマイカーよりタクシーの方が総経費で安価である。

タクシーではなるべく運転手さんと話をするようにしている。饒舌な運転手さんはこちらが話しかけなくとも語りはじめるが、こちらから何かを切り出すと、物静かそうに見えた人でもおしゃべりなことが多い。

景気の話になるとほとんど例外なく、近年は「以前のようには稼げない」と寂しげだ。安倍内閣になってから、売上があがったという話は聴いたことがない。

むしろ先日、「ひどいもんですよ」と言った恰幅のいい運転手さんの声が耳に残っている。

20年以上前のバブル時代を経験した運転手さんたちは、勤務日数が増えても手取りは当時の半分からよくて3分2でしかないと言う。真偽のほどはわからないが、収入が減っていることは間違いないだろう。

ただタクシーという密閉された空間で交わされる会話というのが微妙に作為的で、どこまで本当のことを語っているかは疑わしい。それは客側も運転手側も同様で、数十分間の「ご対面」ですべてを晒すことの方がむしろ不自然かもしれない。

互いに相手の様子をうかがいながら、どこまで言うべきかを瞬時に判断している。会話時間に制限があり、なおかつ2度とこの人には合わない可能性の方が高いことを両者は熟知している。

そこには多かれ少なかれウソが入る。ウソというより、自分はこう見られたいという邪念がタクシー内に漂うことがある。タモリはプライベートでタクシーに乗る時は素性がバレない限りさまざまな職業になりすますと言っている。

そこがスリリングで楽しい。そうした中にも真実が垣間見られるので、日常の中の小さな冒険と呼べるかもしれない。

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