失敗からなにを学ぶのか

小沢一郎が『日本改造計画』を出版したのは1993年のことである。

翌94年、英語版『Blueprint for a New Japan』がでている。当時、私はワシントンにいたので、この英語版を読んだ。

         

                              

アメリカだけに安全保障問題を頼らず、国際的な役割を積極的に担っていくことを軸に、社会党(当時)との連携はできるだけとらず、小選挙区を中心にした多数決ですすめていく政治をめざした。それは細川政権で象徴されたように、自民党からの離脱を意味し、その姿勢は今も変わっていない。

小沢が当時から変わっていないことがまだある。カネに依拠する政治スタイルである。

昨年3月、西松建設疑惑の時にブログで書いたとおり(参照:転がり落ちる政)、不正なカネの受領がないかぎり、検察は秘書を逮捕しない。彼のボスであった田中角栄も金丸信も不正なカネを受けとった。

検察が厳格にコトを進めると、自民党の多くの議員は同じ運命をたどるだろうが、小沢のカネへの執着は二人のボスと何らかわるところがない。

金丸の時を思い出していただきたい。92年、東京佐川急便から5億円のヤミ献金があった。東京地検は金丸に対し、再三にわたって事情聴取を要請したが、彼は応じなかった。今と酷似する。

世間の風当たりはいまと同じように強く、金丸はいちおう罪を認めたかたちをとるために上申書を提出した。

そして地検は金丸を略式起訴にする。これはほとんど無罪放免にちかい処分である。実際は東京簡易裁判所から罰金20万円の略式命令をうけただけである。5億円で20万円である。

小沢と地検の攻防が金丸と同じ軌跡をたどらないことを祈るだけである。

アメリカで同じような罪で起訴されると、懲罰的な量刑もくわわって実刑100年ということがないわけではない。もちろんこれは死ぬまで刑務所からだなさいという司法の意志表示である。

田中と金丸の行状をつぶさにみてきた小沢はいったい何を学んできたのだろうか。(敬称略)