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<答: 京都の詩仙堂(丈山寺)。京都市左京区にある1641年建立の寺>
普天間基地のある宜野湾市から市長の伊波が16日、日本外国特派員協会の会見に現れた。基地反対派の伊波の言葉は、いまの沖縄の声を代弁するものだと思って間違いない。
会見の内容とそれに関連して2点ほど指摘したいことがある。
1つは大手メディアの政治部記者たちが、ほぼ同じ内容の記事を書いていたことである。記者同士の日常的な「メモ合わせ」によって、大手新聞の記事内容(今回はネット配信)がほぼ同じになるという報道姿勢は相変わらずだ。
読売、毎日、日経などの記者が書いた記事の冒頭は、伊波が11月の沖縄知事選で「候補になる可能性は大きい」という点で共通している。
会見時間は1時間。引用できる重要部分は他に何カ所もある。けれども、申し合わせたように知事選に出る可能性を冒頭にもってきている。このような一面的な報道を続けていたら、新聞の部数が落ち、経営が傾くのは当たり前である。
極論を述べれば、すでにフラット化したニュース分野で大手新聞の役割は終わったに等しい。ネット記事の方がよりダイナミックであり、興味深い内容がみられる。ただネット記事は正確性に欠くことが多く、一般読者はどの記事を信じたらよいのか分からない点が大きな欠陥ではある。
指摘したい2点目は、伊波の安全保障問題に対する意識の低さである。
「北朝鮮の脅威は日常的には感じていない。米軍が一番の脅威です」
これは米軍や自衛隊とまったく東アジアの軍事的脅威や戦略面でのインテリジェンスを共有できていないことを意味する。
たしかに日常生活で北朝鮮を意識する人は沖縄だけでなく、他府県にもいない。だが、それで北朝鮮の軍事的脅威がなくなったわけではない。核兵器を所有する北朝鮮は、12日、「ソウルを火の海にする」と脅迫したばかりである。
平時の時にこそ、北朝鮮の軍事的脅威を論じ、準備し、米軍と連携を深めることは政治家として当然の役目である。それができていない。眼中にも入ってきていない様子である。海兵隊の効力は抑止力というより、初動の機動力である。その重要性を理解していない。
私は再三、アメリカ人に確認しているが、有事になったときに日本のために命を落とすのは海兵隊である。自衛隊ではない。日本人は「本当に米軍は守ってくれるのか」という疑問があるようだが、当たり前の任務として日本を死守する。
米軍の誰に訊いても同じ回答が得られるはずである。むしろ、いまだにこの答えに疑問をもつ日本人がいることに、アメリカ人は「WHY」とつぶやくのである。
米軍にとってはあまりも当たり前のことである。ましてや50年も続いている日米同盟のパートナーである。
それはアメリカ側の広報の失敗もあるだろう。いかに海兵隊が沖縄県民と円滑なコミュニケーションがとれていないかの証左でもある。(敬称略)
メキシコ湾の原油流出事故で、海面にただよう油をみて「火をつければいい」と考えたことがあるはずだ。
「コントロールド・バーン(controlled burn)」は野焼きなどと訳されるが、海上での野焼きなのでさながら「海焼き」と呼べるかもしれない。
原油に火をつけると摂氏1000度くらいになり注意が必要だが、大きな「海焼き」になると毎分7000リットルほどの原油を燃やせるという。
黒煙による大気汚染が心配されるが、漂いつづける原油を放置しておくよりもはるかにいい。
拙著『なぜアメリカ金融エリートの報酬は下がらないのか』の書評がいくつか登場しました。もっとも早かったのは6月2日の日本経済新聞(夕刊)。もっとも大きく扱ってくれたのが「週刊NY生活」(p.18)。
http://www.nyseikatsu.com/305.html
ニューヨークのシティ・ペーパーで、情報満載のオモシロ新聞です。
またプレジデント・ロイターで拙著紹介の短期連載もやっています。
ほとんどの事物にはプラスとマイナスの要素が共存する。ツイッターもそうである。
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新しいことをはじめる時、プラス要素がどれだけ得られるかをワクワクしながらスタートできる人は前向きな気質だといえるが、ワクワクしないどころか恐怖心を抱く人もいて、そうした人はあきらかにマイナス要素に目がいっている。
これは「若い・若くない」という判断基準によってでは説明できない。20代でも新しいことに躊躇する人は大勢いる。中高生が新しいことをはじめる動機の一つは「友人がやっているから」、「周囲がみんなやっているので」というもので、誰もやっていないことを新しくはじめる人は少ない。
ツイッターはITに強い10代の若者がさかんにやっているように思えるが、日本でもアメリカでも中心的なユーザーは30代と40代である。
自分のつぶやく一言、二言が世間に公開されるという事実は、慣れないと怖い。反論や糾弾を恐れる人もいる。ある人はそれを躊躇する理由にあげる。さらに他人のつぶやきを読んで何になるのかとの声も多い。
ツイッターはブログと違って「炎上」する危険性は少ないが、もちろん他者から批判されることはある。
幸いというか不幸というか、私は2002年からホームページ、そして後にブログ、さらにオンライン誌でも書き、フェイスブックとツイッターにも足を突っ込み、自身のメールアドレスも公開しているので批判はやってくる。
先日も、お前は「アキメクラか!」という罵倒があった。しっかりした文章の非難だったので、笑いながら返事を書いた。2ちゃんねるでは「バーカ、死ね」が「こんにちは」と同義語のようなものなので、ネットに現出される感情の発露は人間の本音に近いもので、なんということはない。実際に殴られるわけではない。
ツイッターを始めてからまだ1カ月半だが、かなりまともなメディアである。想像を超えていた。やってみないとわからないものである。フェイスブックもツイッターも主に英語でやっているので、文字通り世界中のユーザーと双方向でつながっている。
当初、ツイッターはつぶやきだけかと思っていたが違った。知らない世界の扉をあけたような印象である。たとえば、ダライ・ラマが毎日つぶやく。それは想定内である。驚いたのは、自身のリサーチでは達することがない情報がつぶやきの中にURLの形で添付されていることだった。
これには脱帽であった。ツイッターを始めてもっともよかったと思ったのは添付のサイトを開いた時である。
ただ少し癪にさわるのは、すべてがアメリカ発ということである。アメリカの衰退や貧困が叫ばれているが、あの国はまだ伸びている。拙著『なぜアメリカの金融エリートの報酬は下がらないのか』の後半3分の1は、アメリカの明るい未来に注目している。