病床で思ったこと

病気になると「健康のありがたみが分かる」とよく言われる。

インフルエンザにかかったので正月はずっと家にいた。体よりも心が脆弱になり、テレビに映し出された人がいつも以上に健康にみえて、歩いて人と話ができるだけでも幸せという思いにかられた。

けれども、病気が治って普通の生活にもどると、もうそんな気持ちは失せている。

2年前に他界した母は7年半ほど病床にいた。見舞いにいくたびに自身の健康のありがたさを痛感した。しかし普段から健康でいられることに感謝すべきではあるが、逆の思いもある。

単に仕事ができることに感謝するくらいではだめで、そこから自分を最前線まで引っ張り上げないと仕事にならないことも真理なのである。

その領域で仕事をしている間は健康のありがたさに思いをはせることはない。むしろ「健康はありがたい」という自意識を抱かないときこそが健康なのかもしれないとも思う。

ただ朝から何もせずに家にいると、時間の経つのがあまりにも遅くてとまどった。おせちを食べて、ソファでテレビを観ながらウトウトして爆睡。起きて時計をみるとまだ午前10時半という時間経過はいったいどうしたことか。

普段であればテレビと新聞、さらにネットニュースに目を這わせ、メールの送受信をしているだけでもすぐに10時半になる。

歳をとると時間の経つのが早いというが、あれは忙しいからなのだろうか。

アメリカでは1月8日が「全米バブルバスの日」である。今日は泡風呂に入りたいところだが、泡がたつソープがない・・・

bubblebathday1-9-17

Photo by iStok