新聞の特質

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いまさら述べるまでもなく、大阪市長の橋下徹が市長を辞任して再度、市長選に打ってでるという。

上の写真は2月1日、「日本維新の会」第2回党大会で檀上にあがった時の1枚である。同党政治家の友人が党大会に出席するので「一緒にどうか」との誘いをうけた。

橋下は30分にわたって熱弁をふるった。大阪都構想が公明党の離反で実現しなくなったと述べ、慰安婦問題の持論にも時間を割いた。この点については昨年ブログで述べた通りだ(首相のチャンスを逃した橋下 )。

ただ、メディアが言うような「党代表の辞任」はその場で決まったわけではない。翌2日の朝日新聞朝刊は次のように書いている。

「しっかりともう1回民意を問いたいと提案すると、反対意見が出ていたものの拍手で了承された」

その場にいた500名以上の出席者の中で拍手をしたのは数人である。了承などとはほど遠い。採決するような場ではなかった。

しかも朝日新聞の記者は演説の冒頭で、橋下から「出て行ってほしい」と言われ、その場にいなかったはずである。

新聞(週刊誌も)というのは、このケースに代表されるように推測を交えて書くことが少なくない。「了承された」などと断言した時点で「虚偽」、はっきり言えばウソである。

記者が書いた原稿に、デスクなどが断言口調に変えた可能性もあるが、いずれにしても新聞社全体の信用にかかわる。

橋下はその場で辞任など断言していない。いつ辞めるかにも触れていない。党大会後に辞める意向を漏らしたが、その場で明確な辞任は表明していない。

なにしろその後、友人と落ち着いて話をした時に初めて「もしかすると橋下は辞めるかもしれない」と語りあったからだ。党大会後の懇親会でも「橋下辞任」などの話題はでていない。

新聞や雑誌の記述内容がいかに正確さに欠けるかの1例である。(敬称略)