トップを決める日米プロセスの差

どうもすっきりしない。

何がかと言えば、政治システムそのものにである。民主党代表選の告示から投票まで2日。それから5日もたたないうちに新内閣の顔ぶれが揃うという慌ただしさである。

これまで何度も同じような期日で新首相が決まり、大臣も選ばれてきたので別に驚くことではないらしいが、「あまりにも短いだろう」と言いたい。だが政治家もメディア関係者も慣らされていて大きな疑問を発しないようだ。

衆議院議員のNは先月の勉強会で、「代表選でちゃんと政権構想を用意できていたのは小沢(鋭仁)さんだけ」と言った。人間的にも能力的にもたいへん秀でた人だが、最終的な代表選では外されてしまった。

小沢(一郎)陣営から海江田と小沢鋭仁が立ったが、鳩山が「今回は鋭(さき)さんには遠慮していただいて、、、」と言われて、海江田に一本化されるのである。

昨年、あれほど惨めで情けない辞め方をした鳩山が、いまだに政治家を続けていること自体が信じられない。いまだに政治力をもっていることに唖然とさせられる。自民党の安倍晋三も同様で、いまだに政治記者はありがたがってコメントを取りに行っているが、完全に無理していい政治家の一人だろうと思う。

一般の人であれば矛盾を感じることが、永田町や霞ヶ関では慣らされることで不自然さを感じなくなり、さらに改正すべきとも思わなくなる。

いつもアメリカを例にあげて恐縮だが、来年11月の大統領選挙にむけてすでに共和党候補たちは全米を駆け回っている。文字通り全身全霊をこめてキャンペーンを行っている。その間にカネを集め、政策を練り込んでいく。足の先から頭の上までチェックされ続け、ようやく一国のトップに登りつめられる。むしろ時間をかけ過ぎているくらいだ。

閣僚人選にしても、アメリカでは当選後に選考委員会を作って2ヵ月ほどかけ、人材を選別していく。それでもハズレはある。

だが、民主党代表選は300人弱の国会議員の直接投票できまった。これはまさに高校、いや中学の生徒会長を決めるプロセルに似ている。議員は確かに有権者によって選ばれた代表者だろうが、今回の選挙で背後に有権者のコンセンサスや意識は見えない。

それよりも、次の選挙で自身の政治家としての命がどうなるのか、小沢一郎を排するためには誰に票を入れるべきかといった政治力学が見て取れる。その結果として野田が選ばれている。

本当にこの男がいまの日本のトップとして最良の選択なのか。外交を知らない玄葉を外相に、国防の素人である一川を防衛相にすることが国益に適っているのか。

答えはもちろんノーである。

政治プロセスとシステムの抜本改革が必須なはずだが、そうは感じない人がいるので、この問題は今後も解決しないままである。(敬称略)