定額給付金支持論

いつの頃から、人と違うことをすることに喜びを覚えるようになっていた。

大学卒業時、就職せずにアメリカに渡った時期からそれは顕著だった。それがいいか悪いかは別にして、多くの人と違う意見をいだくことに違和感はない。少数派でいることに多幸感のようなものさえある。

最近では定額給付金への支持がある。

多くの有識者をはじめ、国民の7割近くは定額給付金に反対している。それでも4日午後、定額給付金が盛りこまれた08年度の2次補正予算が衆院で再可決されたことで、国民は政府からのカネを受け取れることになった。

多くの人はバラマキだという。政府が「おカネをあげますよ」と言っているのに、「そんなカネいらない」といっているのは日本人だけだろうと思う。この点で文化人類学者や社会学者は日本社会と日本人の特異性を知覚するはずである。

「定額給付金」という相変わらず官僚が筆をとったニオイのする言葉ではなく、政府からの「差し入れ」と言い換えてもいいが、素直に受け取らない理由を有識者は、「2兆円を社会保障や雇用対策に使うべき」、「経済効果は微弱」と説明する。

経済学者たちは定額給付金のGDP効果は実質・名目合わせて0.2%程度と計算している。日本のGDPは約500兆円だから、2兆円の注入は単純計算で0.4%規模になる。1万2000円をもらっても使わない人が半分いるという計算なのかもしれない。

ただ、18歳以下と65歳以上は2万円の「差し入れ」だから、小さな子供2人がいる家族は6万4000円のボーナスだ。父親が「みんなで旅行に行こう」といったら、その金額だけでは足りないことが多いだろうから、お父さんの給料からさらなるカネが流れて、マネーフローが発生する。狙いはここである。

私は20年以上もアメリカの連邦政府と州政府に納税してきたので、なんどか「差し入れ」を受け取ったことがある。クレジットカードが氾濫しているアメリカだが、いまだに小切手社会なので、自宅の郵便受けに自由の女神が刻まれた小切手が入っていた。正確な金額は覚えていないが、数万円だった。私はそれでコンピューターソフトと本を買った。そのカネが市場に回る。

これを断る人はアメリカにはいない。たぶん世界中で日本人だけだろうと思う。「差し入れ」をなぜ断るのか、私にはかわらない。

確実に言えることは、麻生の話の切り出し方がまずかったことだ。国民への説明の仕方だけでなく、その後の話の展開もいただけない。私は定額給付金は支持するが、麻生の政治家としての能力には「失格」という烙印を捺す。 

どうして麻生や自民党はオバマ選挙対策本部が駆使したようなプロのメディアコンサルタントを使わないのだろうか。使っているとしたら機能していない。政策の内容も大切だが、それをどう国民に売り込んでいくかに力点を置かないと、政策は多くの場合、宙に浮く。

「さもしい」発言が飛び出しあとに、麻生は「受け取る」といった。そうなると「差し入れ」を受け取ることが「さもしい」ことのような解釈が自然発生する。世間体を気にする国民だけに、「1万2000円ほしさに役所に取りに来た」という目は気になるのかもしれない。

アメリカではこれを「減税」と呼ぶ。消費税はだれでも支払っているはずで、それが還元されると考える方が適切である。私はもちろん「差し入れ」をいただく。(敬称略)