翻訳イヤホンの驚異

米アップル社は先週、ワイヤレスイヤホン(AirPods Pro 3 )を発表したが、驚くべき機能は人工知能(AI)を使って同時通訳をしてくれることだ。日本語対応の機種が売り出されるのはまだ先だが、それでも年内には発売される予定だという。

つまり、 外国語の知識がなくとも 、このイヤホンをしている限り、目の前にいる外国人とコミュニケーションがとれるようになるわけだ。どこまで正確に、迅速に通訳してくれるかはわからないが、時間が経つにしたがい、精度とスピードは増していくだろうから、「AI通訳イヤホン」はこれから引っ張りだこになるかもしれない。

そうなると人間の通訳がいらなくなるばかりか、ゆくゆくは外国語をわざわざ学ぶ必要がなくなるという段階に入るかもしれない(たぶんならない)。 これまでずっと英語を勉強してきた私としては機先を制されるという思いがないこともないが、本当に使い勝手がよければ、一人一機という時代がくるかもしれない。

・・・もちろん機械に頼らず自分で理解できることがベストなのだが・・・

追悼:ロバート・レッドフォード

レッドフォードが亡くなった。ハリウッドの中でも二枚目俳優として数々の映画に出演し、世界中にファンがいた。女性だけでなく、男性ファンも大勢いたし、89歳という年齢を考えても惜しいスターが逝ってしまったという印象が強い。

実はレッドフォードには2004年、ニューヨークのホテルでインタビューしたことがある。まだ私がワシントンに住んでいた時のことだ。 当時、『モーターサイクル・ダイアリーズ』という映画のエクゼクティブ・プロデューサーだった彼は、私のために30分ほど時間をさいてくれた。

大スターでありながら、驕りも衒いもなく、丁寧にわたしの質問に答えてくれたのが印象に残っている。インタビューが始まってすぐは彼のスタッフが部屋にいたが、しばらくすると退出したので、30分ほどは2人だけで話をした。レッドフォードという存在に胸が高鳴り、何をどう話したのかよく覚えていないが、いま考えると大変貴重な時間だったと思う。

ご冥福をお祈りいたします。

敬老の日

以前は敬老の日というのは人ごとでしかなかったが、自分がすでに68歳で、高齢者になってしまったので、当事者として敬老の日を迎えている。

高齢者専門の精神科医である和田秀樹の本を読んでいると、ハッとさせられる指摘が次々とでてくる。たとえば、医学が進歩して、死に至るような病気が克服されて寿命がのびることはあっても、脳の老化を止めたり、脳を再生したりすることはできないということである。

肝臓や腎臓、肌なども、その細胞は細胞分裂をしているので、時間とともに新しい細胞に入れ替わるが、「唯一、脳だけは原則的に新しい細胞をつくらない臓器なのです。脳の神経細胞は、細胞分裂をしないで、同じ細胞を使い続けます」(和田氏)と述べる。さらに85歳になると、誰しもがアルツハイマーになるという。

「軽重の差はあっても、85歳を過ぎればみな、脳の病理としてはアルツハイマーになっているのが普通なのです」

それではどうしたらいいのか。いくつもアドバイスがでている。①引退してはいけない、②肉を食べる(ことが老いを遠ざける)、③陽の光をあびる、④変化のある生活をする、⑤ダイエットをしてはいけない、⑥血圧、血糖値はコントロールし過ぎない、といった項目が私の目を惹いた。老いを完全にとめることはできないしても、諍うことは必要だろうかと思う。少しでも抵抗していきたい。

ここはどこでしょう

昨日(9月11日)から緑の綺麗な場所に来ています。

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久しぶりに軽井沢に来ました。東京よりも温度が低く、涼やかな風が吹いています。

戦争という塵芥(ちりあくた)

いきなり「塵芥」というあまり聞きなれない言葉を出したが、この言葉の意味は、ちりやくずなどの不要なもののことで、戦争こそが人類でもっとも不必要な塵芥なのだろうかと思う。当欄でも過去何度か記しているが、戦争が悲劇しか生まないことはすでに歴史が証明しており、ほとんどの方が無益な行為であると分かっていても、無くなるようには見えない。

9日もイスラエルがカタールに駐在するイスラム組織ハマス幹部を標的とする空爆を実施した。イスラエルはいま停戦交渉の最中のはずだが、ハマス掃討作戦を仲介国にまで広げるという暴挙に出た。

そうかと思えば、ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻も続いたままで、大勢の市民が国外に避難している。ロシアは9日、ウクライナ東部ドネツク州の集落を空爆し、年金を受け取りに来ていた高齢者24人を死亡させた。

人類がいつかは戦争という悪行の邪悪性と陰湿性を認識し、ブレーキをかけて2度と繰り返さなくなるかもしれないとの希望的観測を持っているが、その願いが叶う日はまず訪れないということも承知している。身内が他者に殺されるという悲劇を真剣に考えたことがあるのだろうか。決してあってはならない惨事をまのあたりにすれば、誰とでも平穏に暮らそうと思うはずだが、そうならないのはいったい何故なのだろうか・・・。