取材でロシア極東地方を訪れていた。
軍港としても名を馳せたウラジオストックとアムール川(中国名は黒龍江)の河畔に位置するハバロフスクの2都市である。土地の広がりはアメリカを想起させるし、町並みはヨーロッパの香りを漂わせる。
しかし南北アメリカ大陸やヨーロッパ、アジアの国々と明らかに違う何かがそこにある。世界から隔絶させたといえるほど町の風情が違うのである。日本の一般車道とほぼ同じ広さの歩道を歩きながら、「何が違うのか」を問い続けた。単なる道の広さではない。
フッとしたときに、西側の資本が入っていないことに気づいた。欧米だけでなく今や世界中を席巻するファーストフード店やカフェ、ブランド店がないのである。マクドナルドがない都市は久しぶりである。
それは英語の広告サインが見当たらないことでもあった。ほぼ100%といっていいくらいロシア語オンリーなのである。これほど世界の他地域と違う印象を受けた町は少ない。だが、町の中央に位置するレーニン広場からアムール川にいたる大通りはヨーロッパの洗練が漂う。19世紀に立てられた石造りのビルが粛然と並んでいる。町をゆく女性たちは手足がながく、凛としている。
モスクワはいまや世界的な高物価の都市として有名だが、ハバロフスクも決して安くない。東京とそれほど変わらないくらいである。だが、レストランやカフェ、ブティックの数は比較にならないほど少ない。
「いま日本企業がこの町に進出したら、何をやっても繁盛する」
こういう印象をハバロフスク出身の女性に話すと、すかさず返してきた。
「地理的には日本に近くとも、ほとんどの事がモスクワ経由で入るので世界から20年以上遅れている印象がある。それがこの町の欠点でもありいい点だ」
地元政府が西側企業の進出を阻止しているかのようですらある。粗雑な西側の商業主義をいまでも拒絶している気概さえあるが、市民はそれに飢えているようにも見えた。カネ儲けという観点からは、確実に未開の大地である。
英語が流暢だったロシア女性はとどまることを嫌うかのように言い放った。
「ソビエト連邦時代に比べれば、町は格段に明るくなった。あの頃はすべてが暗かった。モノがないということは、町だけでなく人の心も暗くする。ハバロフスクはまだまだこれから」
飛行機に乗れば、新潟空港まで1時間40分の距離にある場所だ。世界は広いということを改めて実感させられた。