ニューヨークの裁きの現場

取材でニューヨークにきている。普段あまり足を向けないアメリカの裁判所での取材である。内容は後日雑誌に掲載されるので、このブログでは雑誌には書けない「おもわずクスッ」という話をつづろうと思う。

マンハッタンのダウンタウンにある地方裁判所に朝から入った。前日に電話をすると「午前9時半から開廷するから、それ以後であればいつ来ても結構です」という。

裁判所の受付で持ち物の検査をする。カメラと録音機器は法廷内に持ち込めないので受付にあずけ、1階の一番奥の法廷にはいった。広報課の係官から「あの法廷が面白い」と勧められたからである。

その法廷では前日に軽犯罪を犯した容疑者が裁かれていた。傍聴席からみて正面左のドアから容疑者たちが5人くらいずつ入ってくる。

手錠をかけられている者はいないが、多くの容疑者の顔には一晩拘置所で過ごした疲れがでている。その中に身長160センチほどのダークヘアの男がいた。傍聴席からでも髭が濃いのがわかる。顔の下半分は黒ごまがまぶされたかのようだ。

その男は法廷内に入る時、ピョンピョンと飛び跳ねていた。歩幅が狭いのである。さらに両手が下腹部にある。最初は足かせと手錠をかけられているのかと思った。が、違った。

まず、スニーカーが大きいのだ。かかと部分は5センチほどの隙間があいている。さらに下半身は裸で、ブルーシートが巻きつけられていた。 

前日ニューヨーク市警に拘束された時、(たぶん)靴を失い、下半身はむき出しになっていたのだ。そのままでは入廷できないので、当局が靴とブルーシートを与えたと思われる。

名前を呼ばれて判事の前にくる時、縛り上げるようにしてビニールシートをもち、ピョンピョンとコミカルな動きをみせる。国選弁護士が横にたって判事の方を向いた男は判事の質問に答えている。その声はみょうに甲高く、元気な小学1年生のような受け答えである。

やり取りの内容は傍聴席まで聴こえなかったので、どういった罪で拘束されたかはわからない。泥酔して下半身をむき出しにして捕まったのかもしれない。

軽犯罪なので、容疑者の中にはその場で釈放されて傍聴席から退廷する者もいる。「ピョンピョン」も2分ほど判事とやりとりをした後、うしろから出ていった。

私はそれからしばらく傍聴席にいて、一人の検察官と話をしたあと退廷した。裁判所の外にでると、なんと「ピョンピョン」が歩道を歩いている。ビニールシートとスニーカーはつけておらず、下半身が涼しげだ。

うしろから見ると、シャツがぎりぎり局部を覆っており、超ミニのスカートを着ているようだ。その時である。前から歩いてきた警察官に「ピョンピョン」が甲高い声で言った。

「Have a good one, sir(ごきげんよう)」

おもわずクスッ、である。

オバマ、黒人としての強さ

日本ではいまだに「オバマは黒人だから大統領になれない」と考える人がいる。

「アメリカは究極的には差別社会だから、21世紀になっても黒人が大統領になるとは思えない」 という。

25年間アメリカで生活した経験から、この発言は20年以上前のひとつの意見でしかないと思っている。もちろん、今でも差別主義者はいるし、人種的理由でオバマを大統領にしたくないと考えるアメリカ人がいることは確かだ。白人至上主義団体も600以上といわれる。

けれどもアメリカ社会で長いあいだ息を吸っていれば、皮膚感覚でこの意見が少数派の中でも限られたものであることがわかる。目に見えるかたちで差別が表面化すれば、いまのアメリカでは黒人暴動が起きる。

「お前は黒人だからうちの店には入れない」「あんたは黒人だから雇わない」

いわゆるインテリと呼ばれる白人であればあるほど、特に東部や西海岸の大都市に住むリベラルな人たちであればあるほど、「差別主義者」という言葉におどろくほど敏感だ。そのため彼らは「差別主義者」とのレッテルを貼られることを極端に恐れ、差別とはかけ離れた言動をとる。

そうした意識を強くもたなくとも、「オバマが黒人であるから大統領にしたくない」との考え自体がすでに陳腐になっている。そのため人種問題は今年の大統領選ではまったく争点になっていない。ヒラリーが一時持ち出したが逆効果だった。

ただ、人の心の中は簡単には読めない。表面上は何の問題もなく黒人と接している白人でも「結婚はできない」という人たちは多い。そこが差別のベースラインである。そのあたりの本音は四半世紀のアメリカ生活で会得したと思っている。

それでもアメリカは10年以上前、すでに黒人の大統領を誕生させる心の準備ができていた。コリン・パウエルである。96年、パウエルの支持率は現職ビル・クリントンを超えていた。出馬辞退さえしなければ、パウエル政権が誕生していても不思議ではない。あれから12年である。オバマに人種のハードルがあるとは思えない。

 日本でいまだに「黒人だから」という理由でオバマを否定する人たちは、まるで昭和40年代に数年日本で暮らしたことのあるアメリカ人がその時の日本のイメージを引きずり続けているかのようである。町の風景は変わるし、人の心も変わるのである。

別のいいかたをすれば、日本人はアメリカを知り尽くしているようでいて、実は変わりゆくアメリカを理解できていないように思える。新聞やテレビは日常のアメリカを拾わない。雑誌や流行の本は特異な事象にかたよりがちだ。アメリカという国家の本質を見抜けていない。

そうした中にあって、オバマは21世紀に登場した候補として抜きん出た強さをたずさえている。それは黒人としての強さであると思っている。(敬称略)

拉致問題の真意

北朝鮮がいよいよ核兵器開発の放棄に動き出した。核計画の申告書を中国に提出したということは、”いちおう”核廃棄の第二段階が終わったということである。”いちおう”と書いたのは、ほとんどの人が北朝鮮を心から信じていないため、本当に第二段階が終わったかは極めて疑わしいのだ。

過去何度となく欺瞞を弄してきた国家だけに、一度手にした核兵器と核開発をやすやすと放棄するとは考えにくい。ただ、アメリカ政府は今回の動きを受けて、北朝鮮をテロ支援国家指定から解除する方向だ。

日本はそれが気いらない。拉致問題はどこへ行ったのか、という。つい先日、北朝鮮は拉致問題の再調査を約束した矢先だけにアメリカの対応が気に入らない。確かにブッシュは「拉致された日本人を決してわすれない」と発言したが、テロ指定解除は日本への裏切り行為と映る。

俯瞰して北朝鮮問題をみたとき、核兵器開発と拉致の重要度は比較になっていない。核兵器は東アジア全体の安全保障問題であるが、拉致問題は日朝間の人道問題だ。こうした基本的スタンスを日本の主要メディアの記者たちはみな知っている。だが、報道できない。「拉致問題は2番目です」とは言えない。

日本政府は拉致問題の解決がないかぎり国交正常化はないという態度である。拉致被害者の家族だけでなく国民感情をも考慮すると、「拉致問題の解決なくして、、、」という路線を外せない。核廃棄の方がずっと重要という本音を報道したら非難ごうごうであり、反発は尋常ではないだろう。それが怖いのである。

ブッシュは「同盟国を見捨てない」といったが、政権は1年半前から現実路線にシフトしているため、北朝鮮のリスク軽減に力点を置いてきた。その状況下で日本は存在感のなさが際立っている。

もしもアメリカ人が一人でも北朝鮮に拉致されていれば、米軍はとっくに金正日を「拉致」していただろう。しかし強硬策を好まない、というより実行できない日本はなすすべを持たない。

先日、あるテレビ番組で東大教授の姜尚中が「外交問題と人道問題を切り離してはどうか」との発言をしていた。在日の姜は、1965年に日韓が国交正常化した例にあげた。日本はかつて朝鮮人を強制連行したが、国交正常化の交渉ではそれを切り離した。人道問題を外交問題と一緒にしては進むものも進まないとの考えだ。

アメリカのような軍事的な強制力がない日本は、こうした手法も十分に考慮すべきである。実際、国会議員の中には同じ考えの人がいるが、利権がらみと批判されている。拉致問題は本当に解決させるべき問題であり、外交問題と別枠で徹底的に突き詰めればいい。それでない限り、今後も日朝間に大きな進展は見られそうにないし、日本は六カ国協議からも置いていかれる。(敬称略)

ヒラリーの敗北宣言

敗者の目つきはおうおうにして虚ろだが、ヒラリーの目には光が宿っていた。

今月8日、ワシントンで敗北宣言する姿を午前2時過ぎまでテレビで観ていた。これまで多くの敗北宣言を観てきたが、彼女ほど前向きな表情を浮かべた候補を知らない。

1984年に現職レーガンに敗れたモンデールのうつろな眼差し。88年のデュカキスの失意に満ちた表情。92年、クリントンに敗れた現職パパブッシュのつらそうな笑顔、、、。思い出すだけでも、敗者のつらさが伝わってくる。しかも、大統領選のように長期にわたって激しい打ち合いをしたあとだけに、なおさら落胆は大きい。

19世紀半ば、リンカーンが大統領になる前、上院選に出馬して負けたことがある。その時の心情を彼はこう表した。

「暗闇で自分のつま先をしたたかにぶつけた哀れな少年のような気持ちだ。だが、私はもはや少年ではない。声を出して泣くには歳をとりすぎているし、笑うわけにもいかない」

けれども、敗者となったヒラリーの輝きはいったい何なのだろう。現場にいたわけではないが、テレビ画面から伝わってくるあの笑顔はどう説明すべきなのか。敗者の笑顔はおうおうにしてひきつるものである。だが、彼女にはそれがない。

「次に進むべき道がすでに固まっている証拠なのか」。私にはそう思えてならない。敗北宣言の中で、「(オバマと)歩み始めた道筋はちがったかもしれないが、今日、その道は合流した。いまは同じ目標に向かって進んでいるし、それ以上に、11月の選挙に勝つ準備ができている」とさえ言った。オバマも6月2日、「ヒラリーと共に11月の本選挙で勝つ」という言葉を口にしている。

オバマとヒラリーのこうした言葉の意味を考えると、両者の間にはすでに「出来レース」と呼べるだけの取り決めが交わされていたのではないか、との疑念が浮かぶ。

そんな中、上院議員のダイアン・ファインスタインがワシントン市内の私邸で二人が話し合う場を提供した。ヒラリーはそれに応じて、6月5日午後9時から二人だけの会談をもった。予備選の勝者と敗者がこうしたかたちで会うことは、私の大統領選の取材では記憶がない。通常、敗者はそのまま立ち去るだけである。勝者もあえて敗者と顔をあわせて慰めたりはしない。電話で言葉を交わすことはあるが、それ以上の動きは普通ではない。

ファインスタインは8日、ABCテレビに出演して「ゴールデンコンビ」誕生の可能性が大きいことを告げた。私は6月以前に、すでにオバマとヒラリーの間で「ゆるやかな決めごと」があったと踏んでいるが、それが事実であったとしたら何年か経たないと真実は明かされないかもしれない。

いずれにしても、ヒラリーが今後も選挙戦に深く関与することは間違いない。(敬称略)

本選挙の票読み

アメリカ大統領選挙はオバマ対マケインという対立軸ができたことで、軸を中心にしてどれだけの求心力が得られるかが今後の焦点となった。メディアの関心は二人の政策や副大統領候補が誰になるかに向けられるが、私はすでに既存メディアで発言しているので、ここでは触れない。

ブログのよさはいい意味の過激さであり、先見性であると思うので、ここでは11月4日の本選挙の予想を試みたい。

本選挙は選挙人の数で争われる。予備選でしきりに語られた代議員とは違うシステムだ。全米50州と首都ワシントンの全選挙人をあわせると538人。過半数の270人を獲得した候補が次期大統領となる。それでは現段階での予想を記していこう。

予備選が終わったばかりだが、本選挙で民主・共和両党が確実にモノにする州というのが見えている。いくらオバマに人気があろうが、「ほとんど勝ち目のない州」がいくつもある。たとえばテキサスやアラバマだ。逆にマケインがどれだけ奮闘しても勝てない州がある。ニューヨークやカリフォルニアだ。

オバマが高い確率で勝つ州はカリフォルニア、ニューヨーク、イリノイ、ハワイ、ワシントン、オレゴン、メイン、バーモント、マサチューセッツ、コネチカット、ロードアイランド、デラウェア、ニュージャージー、ペンシルバニア、メリーランド、ワシントンDC,ミネソタ、アイオワの18カ所。選挙人の合計は228だ。

一方、マケインが勝つと思われる州はアラスカ、モンタナ、アイダホ、ワイオミング、ユタ、アリゾナ、ノースダコタ、サウスダコタ、ネブラスカ、カンザス、オクラホマ、テキサス、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマ、ジョージア、ウェストバージニア、ケンタッキー、テネシー、サウスカロライナの21州である。合計選挙人数は163だ。

勝った州の数はマケインの方が多いが、選挙人数はオバマに軍配があがる。選挙人は代議員と同じで人口の多い州に多く割り振られているため、オバマが228でマケインが163という数字がでてくる。

問題は残りの12州である。いわゆる激戦州(パープルステート、スウィングステート)だ。オハイオ、インディアナ、フロリダ、ネバダ、コロラド、ニューメキシコ、ミシガン、ウィスコンシン、バージニア、ノースカロライナ、ミズーリ、ニューハンプシャーの合計選挙人は147。それを二人がどう取り分けるか。勝負はそこである。アメリカで過去4度、予備選から本選挙まで取材したことで見えてくるものがある。

今年の予備選を振り返ると、オバマは激戦州の多くでヒラリーに負けた。それはマケインにも負ける可能性が高いということに等しい。白人の人口比が高く、労働者や低所得者の比率が高い州である。

そうした状況をすべて加味して激戦州を二人に割り振るとどうなるか。結果は272対266でオバマ辛勝ということになる。

共和党の選挙戦術の巧みさや、支持基盤であるキリスト教福音派の力強さはもちろん指摘されるべきだが、アメリカ大統領選は間接選挙であり、州ごとに集計される点を忘れてはけない。現時点の総合判断によると、私はオバマ勝利と予想する。(敬称略)