雨にも負けず

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(Strong in the rain

Strong in the wind

Strong against the summer heat and snow….)

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにもまけぬ、、、、

明治から昭和にかけて生きた宮沢賢治の詩の冒頭部分である。

先日、日本外国特派員協会で「Strong in the Rain」というタイトルの本(英語)を紹介する会があった(私はMC)。

著者はルーシー・バーミングハムとデイビッド・マクニールというジャーナリストで、バーミングハムは「タイム誌」で健筆を振るい、マクニールは英「インディペンデント紙」で活躍している。

宮沢賢治についての本ではない。2年前の大震災を、6人の日本人の目を通して描いたノンフィクションである。

東京電力や菅内閣を批判し、被害を受けた一般市民に寄り添うことはたやすい。だが彼らは批判も賞賛もほとんどせず、淡々とありのままを述べるスタイルを貫いている。

欧米人があの震災をどう捉えようとしたのか。一読に値する書物である。

アルジェリアのテロ事件: なぜ情報が錯綜するのか

アルジェリアの人質事件が発生してから5日がたった。

いまだにさまざまな情報が飛んできて、正確な状況が伝わらない。救出された人数も死亡者数もまちまちである。

これはアルジェリアという国の特異性とサハラ砂漠の真ん中という地理的特性によるところが大きい。

友人のフランス人記者とゆっくり話をした。まず、アルジェリアはメディアが十分に機能を果たしていないという。

政府がテレビ・ラジオの放送メディアをコントロールしているばかりか、新聞・雑誌の活字メディアにも強い影響力をおよぼしているためだ。

メディアは政治家や役人の言いたいことを垂れ流すだけなのだ。政府のチェック機能を果たすべきメディアが政府の内側に入っていては、正確な情報はでてこない。NHKしかないようなものである。

政府は自分たちに都合のいい内容だけを公表し、テロリストは自分たちの言い分だけを伝える。

西側メディアは何をしているのか。天然ガスのプラントしかない砂漠の中に特派員や通信員がいるわけもなく、特派されたジャーナリストもプラント内に入れず、一次情報は入手できていない。

正確な情報を迅速に伝えるという基本的な仕事ができないと今回のような情報の錯綜につながる。

フランス人記者が最後に言った。

「アルジェリア政府は人質の命を軽視している。いや、ぜんぜん気にしていないと言った方がいいかもしれない」

メディア操作だけでなく、基本的人権も守らない国家との姿が浮かんでくる。

新しい政治システムの時代へ

時代が進むにつれて、旧態依然とした日本の国会やアメリカの連邦議会がうまく機能していないと多くの人が感じるようになってきた。与野党議員による政治的駆け引きや国民不在の法案審議など、理由はいくらでもある。

8日、アメリカの民間調査会社パブリック・ポリシー・ポーリング(PPP)が発表した調査では、連邦議会の信任度はすでに谷底に落ちている。支持すると答え人は回答者の9%に過ぎず、ゴキブリやシラミよりも不人気だった。比較対象がユニークである。

アメリカでは残虐の限りを尽くした男として知られるチンギスハーンよりも、また不愉快な大腸の内視鏡検査よりも人気が下だった。

ギャラップ調査でも連邦議会は14%で、歴史上最低率を記録している。大統領の支持率53%が対照的である。

言い過ぎかもしれないが、民主主義の限界とひずみが21世紀になってより鮮明になってきたということかもしれない。それと連携して、資本主義が瓦解し始めているとも思えなくもない。

時代は絶え間なく変化するが、すでに築き上げられたシステムは頑迷なまま変化を嫌う。時代が変わりゆくスピードについていっていない。あまりにも当たり前のことなのだ。

つねにシステムの変化は後からやってくる。特に政治・経済の新システムの登場は遅れる。

東北の復興が遅れるのも、財政赤字の削減が遅々として進まないのも関連性がある。

多くの人の意見を聞くという民主主義の原則は大切だが、ものごとを前に進めるという点で時間がかかりすぎるきらいがある。

柔軟にしてスピードのある新しい政治システムを構築したいが、確立した時にはまた矛盾をはらむ。