ワッパーの威力

「ヤラレター」というのが正直な感想だった。

アメリカのテレビ・コマーシャルを観ていて、すぐにその商品が食べたくなった。こうした思いを抱くのは実に久しぶりである。

バーガーキングというハンバーガーのチェーン店がある。アメリカのフロリダ州マイアミに本社があり、世界65カ国で1万1000店舗をもつ。そこの売りが「ワッパー」である。日本には1993年にお目見えしている。

アメリカで最初にバーガーキングの店舗に入ったとき、なんと発音するのかわからなかった。「Whopper」とつづられている。最初、「フーパー」と言った。するとカウンターの向こう側にいた黒人の女性店員が小さく笑った。次に「ホーパー」と言ったら、彼女の笑いは大きくなった。

私は矢継ぎ早に「フッパー?ホッパー?」といったら、彼女はマネジャーを連れてきた。皆で涙を流さんばかりに笑っている。失礼な話だが、どういうわけか私も一緒に笑った。大笑いが一段落すると、彼女はやさしく「ワッパー」と告げた。そうだったのか、、、、。

出てきたサイズはそれまでのハンバーガーの3倍はあろうかと思えるほどだった。アメリカらしさを感じた瞬間だった。

そのバーガーキングがドッキリカメラのコマーシャルを制作した。現在、アメリカのテレビで放映されている。本物の客を相手に、店員たちは「もうワッパーは売らないんです。永遠にメニューから消えました」とやる。

Tシャツを着た長髪の青年は「ウソだろ」。「本当です」と店員が言うと、「ワッパーがあるからバーガーキングなんだろう。ないんだったらバーガークイーンにしちまえよ」とすごむ。ドライブスルーに現れた女性客は「店長を呼びなさいよ」と怒っている。中年男性は「そんなこといつ決めたんだよ。俺はマクドナルドは嫌いなんだよ」とまくし立てている。

見事である。コマーシャルとしては久しぶりに会心作を観た思いだ。面白いコマーシャルはたくさんある。笑ってしまうものも多い。けれども多くは商品と直接むすびついていない。コマーシャルに登場するキャラクターやストーリーは覚えているが、商品名や企業名がなかなか出てこないCFが数多い。

けれどもワッパーのドッキリコマーシャルを観て、すぐに頬ばりたくなった。実に久しぶりのことである。「ヤラレター」という思いは、企業側の成功の証しである。

消える新聞

新聞がますます読まれなくなっている。インターネットでニュースを読む人が増えて、新聞読者は減る一方だ。

もちろん、それは日本だけのことではない。ニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストも部数を減らしている。昨日、USAトゥデイのスポーツ記者をしている友人と電話で話をする機会があった。同紙は最近、10%の人員削減を行ったという。

USAトゥデイは部数を伸ばしていたが、収益が落ちていた。彼は幸いにもレイオフの対象にはならなかったが、今後はどうなるかわからないと言った。新聞業界は今後も下を向いたままのようである。

話が英語にそれるが、日本ではいつの間にかクビとかレイオフいう言葉が「リストラ」という優しい言葉に言い換えられた。だが、「リストラ」はクビという意味ではない。企業の再編成という意味で、冷たい言葉をやめて「リストラ」に置き換えたところが実に日本的である。

話を戻そう。新聞業界が下火であることは誰しもが気づいている。今後、新聞がなくなるかもしれないという漠然とした思いもある。新聞を読むという作業よりもインターネットでニュースを読む方が一般的になっているので、当然である。

特に若い世代は間違いなくネットニュースが主流だ。先日、ある忘年会で斜め前に座った25歳の青年は、「週末にしか新聞は読まない」といった。普段はネットニュースでこと足りているという。時代の流れは誰にも止められない。

実は昨年、ワシントンにある国防大学がアメリカのメディアの将来についての報告書を出した。そこには2040年までに新聞は消える、正確には「新聞紙のリサイクルは2040年までに消える」というオシャレな表現が使われていた。

紙は終わるが、新聞社は生き残るかもしれないという意味である。別に驚くべきことではない。世の流れの速さを考えれば、新聞の終焉はもっと早くてもおかしくない。ただ、誰かがニュースを伝えなくてはいけないので、ネットでのニュース配信がなくなることはない。

課題はニュースを伝える側がどうやって収益をあげるかである。いま新しいビジネスモデルが模索されているが、年率20%もの利益をだす金融商品のように収益をあげられないところが業界の辛さである。

新聞が歴史の遺物になるのは以外にも早いかもしれない。

波乱のない選挙

アメリカ大統領選挙の最初の予備選が近づいている。来年1月3日がアイオワ州党員集会だ。

現在、民主党ではヒラリー・クリントンがリードを続けている。これは全米レベルの支持率という意味で、USAトゥデイとギャロップによる共同世論調査によると39%でトップ。2位はバラック・オバマで24%。同じ時期のロサンゼルス・タイムズとブルームバーグの調査ではヒラリーが45%、オバマは21%だ。

共和党はジュリーニが25%(USAトゥデイ・ギャロップ)でトップ。2位はマイク・ハカビーの16%。トンプソンは15%、マケインも15%。ロムニーは12%と激戦である。

アイオワ州だけをみると、民主党はヒラリーとオバマ、エドワーズが三つ巴の戦いを演じている。共和党ではロムニーがずっとトップを走ってきたが、ハカビーが抜いて頭一つリードした。ジュリアーニはアイオワを捨てているので支持率では3位に甘んじている。

選挙の予測に熱をあげても大きな意味はないが、「どうなるのか」と聞かれる方が多いので、私は「順当にヒラリーとジュリアーニが勝ち進む」とお答えしている。

来年1月に大統領選についての本(角川SSC新書)を出させていただく。そこでもヒラリーとジュリアーニに焦点を絞ってある。04年の本では「選挙対策本部の動き」に光を当てたが、今回は「カネの流れ」に力点を置いた。カネの流れから選挙を眺めた本である。

来年の予備選で二人が脱落してしまうと、本の存在、ひいてはジャーナリストとしての立場も否定されかねないので多少の冒険ではあった。だが、いくつかの理由から二人が両党の正式候補になるだろうと踏んでいる。それもあと2カ月(2月5日のメガチューズデー)で決まってしまう。

最大の理由はカネである。歴史が教えるとおり、本選挙の1年前にもっともカネを集めた候補がこれまで両党の正式候補になってきた。88年のブッシュ(父)とデュカキス、92年のブッシュ(父)とクリントン、96年クリントンとドール、2000年ブッシュとゴアといった具合で、まさに「カネで大統領を買う」というワシントンで使われる言葉がそのまま現実になっている。

さらに両党で、「誰が大統領にもっともふさわしいか」と有権者に問うと、やはりヒラリーとジュリアーニがトップにくる。ヒラリーについては有権者の中で好き嫌いが激しいし、一方のジュリアーニは南部と中西部のキリスト教右派に推されるかという疑問もある。だが、「他候補よりはマシ」という論理が生きている。

急進している前アーカンソー州知事のハカビーが旋風を起こしている。けれどもカネが集まっていない。アイオワとニューハンプシャー両州のあと、どうにもならないといった状態がいまのハカビーである。カリフォルニア州やニューヨーク州といった大州ではジュリアーニの圧勝とみる。まだ理由はあるが、それは拙著に譲りたい。

08年大統領選挙は面白みにかけるくらい順当にヒラリーとジュリアーニが勝ち進むと思われる。2月5日に両候補が正式候補に決まれば、夏の党大会までは「もり下がり」の時期がくる。

外野席に座る人間としては波乱があった方が興味深いし、強力な第3の候補の登場を願ってもいるが、今回の選挙はこのままいきそうである。つまらないといってはいけないが。(敬称略)

北の町へ

「景気は最悪ですね」

タクシーの運転手は言いなれたような口調だった。小雪が舞う函館でタクシーに乗り、街中をすすむとシャッターの閉まった店が目につく。

「ますます悪くなってますよ。東京にすべてが行っています。北海道では札幌にすべてを持っていかれている」

地方に元気がないといわれて久しい。「シャッター通り」という表現は全国で聴かれる。函館のメインストリートである電車通りは、みたところ2軒に1軒は日中でもシャッターを下ろしている。人影もまばらである。

特に市の西側の衰退が顕著だ。ゴーストタウンとまでは行かないが、捨てられた町という印象である。東京の雑踏と比較するとなおさらそう感じる。函館が1859年の日米修好通商条約で開港した当初、町は西側に築かれた。「箱館」と書かれた時代だ。だが、時代は変わった。今では西側から忘れ去られている。レンガ建ての倉庫街は観光者だけのものだ。

アメリカでも多くの地方都市は函館と同じである。私が訪れた都市だけでも何十もが函館と同じ運命にある。例えばデトロイトがそうだ。かつては200万もいた人口が現在は100万を切った。市の中心部はもはやゴーストタウンである。

「モータウン」といわれる自動車の町はいまや死の町と言ってさしつかえない。再開発が一部で進んではいるが、古き良き時代の活気が蘇ることはないだろう。

日米で共通することは多い。地方を支えるために政府が公共事業のカネをばら撒いた時代があった。けれども、中央政府が地方を支えられる時代ではない。地場産業が芽生えて「流れに乗っている」と言い切れる地方都市に生まれ変われるのは例外である。

悪いことに、今後は高齢者が多くなるため、地方都市の景気回復はおぼつかない。経済産業省が多くの地方活性化プロジェクトを推し進めていることは知っているが、函館に元気が戻ったと言えるまでには何年も必要だろう。

人口29万。道内3位の都市は観光と漁業に頼ってきた。最近ではIT企業が伸びてきているが、全市を巻き込んだ産業再編にはいたっていない。海産物をメインにしたどんぶりものは美味だが、観光者の食欲を満たして終わりである。

社会格差と都市の格差はますます広がっている。それを埋め合わせる効率的な手立ては多くない。自発的な地方への移住がいろいろなところで語られている。余生を送るためだけではなく、新たにビジネスをはじめたり、のびのびした土地のひろがりを体感する意味でも地方移住は悪いアイデアではない。

けれども、タクシーの運転手が悲観的なことを言った。

「東京にずっと住んでいた人が函館に移住しにきますよ。でも、結局また東京に戻ってしまう人がずいぶんいます。退屈ですからね。この町は」

「おいしい海産物があるじゃないですか」と言ってみたが、それが景気回復の原動力にならないことは運転手が一番よく知っていることである。明日は雑然とした東京に戻る。

リスのシチュー

アメリカは銃社会といわれる。

国内に出回っている銃砲の正確な数は誰もつかめていない。2億5000万丁とも3億丁ともいわれる。アメリカの人口は昨年10月に3億の大台に乗ったので、一人につき一丁というのがおおよその目安である。

銃が使われた事件もずいぶん取材しているので、よほどのことがないと驚かないが、先週、思わず「エーッ」と唸ってしまったことが二つあった。両方ともアメリカのできごとである。

一つはフォックスTVを観ていて驚いたニュースだ。テキサス州に住む男性が警察に電話をしてきた。会話はすべて録音されている。それがすぐにTV局に持ち込まれるところもアメリカらしいが、その録音テープの内容にびっくりさせられた。

電話をした男性の隣家に、二人の男が窓ガラスを割って侵入した。それを見た男性はすぐに警察に電話。警察官と会話をしながらこう言うのである。

「銃をもってくる。奴らを止めなくては」

午後2時。電話口の警察官が落ち着いた口調で諭す。

「家の中にいてください。警察官がいまそちらに向かっていますから」

「出てきた出てきた。撃つよ、撃つよ。このまま見過ごすわけにはいかない」

「いや家の中にいてください」

男性は電話を持ったまた外にでた。「オダブツダナ」と言ったあと、ガンショット3発。数分後に駆けつけた警察官が死亡した二人を確認した。

検察側はテキサス州法の自衛権を逸脱する行為だと主張。弁護側は自衛権の行使であると真っ向から対立している。男性が起訴されるかどうかは大陪審の判断にゆだねられている。

やってくれるものである。92年にルイジアナ州で起きた服部君事件を思い出した。犯人のピアースは正当防衛が認められて無罪になったが、私はいまでも過剰防衛だと思っている。銃社会の弊害以外のなにものでもない事件である。

そうしていたら、ワシントンの友人が電話でスゴイ話をしてくれた。彼は長い間、ワシントン郊外に一軒屋を借りて住んでいた。同時に、ウェストバージニア州に3000坪の土地と別荘を所有している。ウィークデーは借家に住み、週末は別荘で過ごすライフスタイルだ。だが、最近になって借家を引き払って別荘に住み始めた。

電話の向こうから、「ライフル銃を購入した」というセリフを聞いた。長いつきあいなので、銃所有にずっと反対していることは知っていた。だが今では銃の所有者になったという。

「隣人がハンターで、一緒にスーパーに行ったときに勧められたんだ。護身用というよりハンティング目的だよ」

「いつからハンティングをするようになったの?」

「いや、まだ撃っていない」

何を狙うのか聞いたら、リスだという。リスを撃つ話はよく聞いていたので驚かなかったが、次の彼の言葉で息をのんだ。

「僕もびっくりしたよ。先日、隣人がパーティーに招いてくれたんだ。『自宅の裏庭でリストを10匹ほど撃ったから今晩はリスのシチューだ』って言うんだよ。いやあ、食べられなかった」

ところ変われば品変わるというが、「撃つものが違うだろ」というのが正直な感想である。憲法修正第2条の武器所有の権利は熟知している。全米ライフル協会のロビー活動のしぶとさもよく知っている。だが、増え続けるだけの銃砲に歯止めをかけなくして銃関連の事件が減らないのも事実である。

アメリカ、、、嗚呼である。