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日米2大作家の死

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過去1週間で山崎豊子とトム・クランシーが亡くなった。

両氏ともに面識はないが、山崎の書いた「運命の人」では取材協力をしたことを思いだす。まだワシントンに住んでいた時のことだ。

当初は山崎本人がワシントンにきて取材する予定だった。だが、体調がすぐれず渡米をキャンセル。文藝春秋の編集者を経由して私のところにきたリクエストは、いささかマニアックと思えるほど細かい情報が求められていた。編集者はそれが山崎の普通の取材なのだと言った。

細部へのこだわりを抜きにして鬼気迫る臨場感は生まれない。それはクランシーも同じだ。

デビュー作の「レッド・オクトーバーを追え」は米海軍の軍事情報、特に潜水艦の記述が細かすぎて、編集者のデボラ・グロブナーは100頁ほどを削らせたという。

明らかに米海軍に情報提供者がいると言われたが、本人は機密情報をつかんでいるわけではないし、マニュアルや公開情報を丹念に調べて書いたと述べた。

ただ、そのこだわりが独自のミリタリー・サスペンスの世界を築かせることになった。1984年の初版で手にしたクランシーの印税は5000ドル。だがその後の作品を含めると全世界で1億冊以上を売っている。2人の作品は、ともに映画化された点でも共通項がある。

山崎は88歳。大往生という年齢だが、クランシーは66歳で、まだまだいい作品が期待できた。

冥福を祈りたい。(敬称略)

少しだけ夢のあるストーリー

9月初旬のことである。カナダ西海岸にあるバンクーバー島(バンクーバー市ではない)の海岸に1本のビンが流れついた。

島に住むスティーブ・サーバー(53)という男性は海岸の散歩を日課としており、そのビンを見つける。ライトグリーンのガラス製のビンで、ワインボトルのような形状だ。白い蓋で密閉されている。

見たところ、古そうなビンである。中が少し透けて見えるほど表面が波で洗われている。蓋を固定する金属もサビついている。

よく見ると、手紙のようなものが中にあった。しかも手書きのサインが読める。

「(カナダ)ベリングハム市在住アール・ウィラード、1906年9月26日」

その手紙が本物であれば、107年前に書かれたものということになる。本当だろうか。

100年以上も太平洋に漂い、最近カナダの海岸に漂着したのか。その手紙には何が書かれているのか。

サーバーはアール・ウィラードという名前からできる限りのことを調べた。すると、カナダのベリングハム市で1888年8月28日に生まれた人物であることがわかった。そして1907年に結婚した後、バンクーバーに越していた。

その後アメリカのシアトルに移り、1948年にロサンゼルスで亡くなっていた。電気技師だった。

ビンは1906年にサンフランシスコからベリングハムに汽船で移動中に海に投げたものであることもわかる。

ただ、サーバーはまだビンの蓋を開けていない。手紙を読まずに、名前だけでここまでのことを突き止めたのだ。地元紙に語っている。

「いましばらくは中の手紙はミステリーということにしておきたい。だから開封せずに置いておきます」

(敬称略)