ラジオという媒体は、出演者側からみるとテレビよりものびのびと語れるし、カメラを意識せずにいられるので、スタジオに入ってもかなり居心地がいい(『くにまる「ヒラリー・クリントン」塾』 – くにまるジャパン – 文化放送)。
ヒラリーがくる!
Photo courtesy of Politico
いよいよヒラリー・クリントンが2016年の大統領選に出馬する。間違いなく出てくる。しかも2週間以内だ。
昨年末からヒラリーの出馬は噂されていたが、彼女の政治動向をみれば99%といえるほどの確率で出てくる。
ヒラリーの選挙戦を手伝うスタッフの顔ぶれはプロ中のプロである。しかもオバマに仕えていたホワイトハウスの補佐官たちもいて、すでに職を辞している。08年の予備選でオバマに負けた失敗は繰り返さない構えだ。
ヒラリーはすでにニューヨーク市ブルックリン区にあるピエールポント・プラザというビルに選挙本部を置くことをきめ、スタッフが事務所の契約書にサインもしている。
私はいちおうアメリカ大統領選を「ライフワーク」と言っているので興奮してしまうが、「エッ、またヒラリーが出るの?」と思われる方も多いだろう。
彼女が次期大統領になるかどうか、、、それを今後記していけたらと思っている。(敬称略)
過去を美化する
先日、若い女性と話をしていたとき、私がジャーナリストとして独立したときのことに話がおよんだ。
いまから25年も前のことである。
それまで勤めていたアメリカの会社を辞めて、会計上、小さな会社を起ち上げた。人に使われることがイヤだったこともある。「会社員は自分には合わない」との思いも強かったので、当然のなり行きであると思っていた。
希望を抱いて、といっても過言ではない心情だった。少なくとも、記憶の中ではそうだった―。
昨晩、当時の日記をとりだして25年前の記述を眺めた。希望に満ちあふれた思いはほんのわずかで、心のなかは焦燥、不安、憂心、怖気でいっぱいだった。
1990年7月12日の日記にはこうある。
「、、、どこから湧き上がってくるのかわからぬ焦りが口の中から入り込み、いまは胃壁に根をはっている。すべては自分の活動いかんである。何をやるにしても、もう人のせいにはできない。社会のせいにもできない、、、」
喜びいさんで独立したというのは自身が美化した過去の記憶であって、当時は不安で押しつぶされそうになりながらの日々が続いていたのだ。
日記を読み進めるうちに、当時の記憶が少しずつよみがえる。安定した収入を絶ち、年金や健康保険も自分で面倒をみなくてはいけない。有給休暇もない。薄暗いトンネルのなかを感覚だけで突き進むような恐怖がつねにあった。
それでも、いま振り返ると思い切って独立したことは私にとってはいい決断だった。
幸いにも、25年間も文筆業をつづけてこられたのは編集者や友人にささえられてきたからだ。あらためて感謝するしかない。
桜香の漂い
ウクライナの事態は今、一歩一歩悪化しつつあるかに見える。多くの日本人は、ウクライナ情勢に緊迫感を持つことができないが、欧米の専門家の中には「第3次世界大戦への序章」と形容する人もいる。
昨年9月、ベラルーシのミンスクで停戦したが、すぐに破棄された。今年2月、ロシア、ウクライナ、フランス、ドイツの4カ国首脳が停戦の交渉を行って合意に達したが、ウクライナ東部では依然として戦闘がつづいている(ウクライナへの武器供与は是か非か?)。
by the Pentagon