ブルブルブルの正体

アメリカから日本にもどってそろそろ10年が経とうとしている。いまでも私が書く記事の8割以上が海外モノで、多くがアメリカがらみである。

いつも世界のニュースに目を這わせている。突発的なニュースが起きた時は、アメリカの報道機関2社から私のスマホに「号外メール」が入るようにしてある。ブルブルブルと1回だけ震える。

リオ五輪が開催されてから、ブルブルブルの回数が増えている。というのも、アメリカ選手が金メダルを獲ったり、世界記録が生まれた時に震えるからである。

ここまで(21日午前10時半)、アメリカは41個の金メダルを手にしているので41回、そして世界新記録が生まれた時の数回、ブルブルブルがきた。

「わかったから、もう止めて」というのが正直な感想である。

報道は近年、純粋な客観報道などありえないという風潮がつよい。偏っていて当たり前との考え方だ。アメリカのテレビでいえばフォックスは保守で、MSNBCはリベラル。政治的スタンスがわかっているから、視聴者も自分好みの局を選ぶ。

ただスポーツ報道については、どの国の報道機関も自国選手を応援する。当たり前と言えば当たり前で、自国選手を無視して他国選手にエールを送ったりしたら苦情の声が絶えないだろう。

この点で、スポーツだけでなく、対外的なことがからむと自国を擁護する報道姿勢がどの国でも鮮明である。だから最初からバイアスがかかっていない客観報道というものは極めて少ない。

リオ五輪もいよいよ閉幕。これでブルブルブルも少なくなる。

小売り冬の時代に突入、米国からモールが消える

1つの時代が終わりを告げたということなのか。

米大手百貨店「メイシーズ」は8月11日、今後1年ほどで米国内の100店舗を閉鎖すると発表した。メイシーズと言えば米百貨店の代名詞的な存在で、ニューヨーク市マンハッタンにある店舗は今でも全米最大の売り場面積を誇る。

160年近い歴史を持つメイシーズは、世界の百貨店に影響を与えてきたが、一度に100店舗も閉めるとのニュースに、消費者からは「メイシーズ」はもう終わりなのかとの声が出ている(小売り冬の時代に突入、米国からモールが消える)。

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Photo courtesy of Wikipedia

称賛の嵐

リオ五輪での日本人選手のメダルラッシュが続いている。

その中でも内村航平の「金」の演技は圧巻だった。国内メディアだけでなく、外国からも称賛の嵐がとまらない。なにしろ経済紙である英フィナンシャル・タイムズや米ウォールストリート・ジャーナルでさえ内村を褒めたたえたのだ。

フィナンシャル・タイムズは「力強さがありながらもバレエダンサーのような品格で、難度の高い技をこともなく演じていた」と書き、内村を「スーパーマン」と称した。

同紙は1976年モントリオール五輪で10点満点を何度も叩きだしたナディア・コマネチからコメントをとっている。

「信じがたいテクニックを身につけているので、史上最高の体操選手と言って差し支えない。普通、スローモーションで体操選手の動きを見ると、ミスや粗雑さが目立つが、スローモーションでさえ彼の演技は完璧」

英選手のナイル・ウィルソンは「日本人選手の完成度はいま、完全に別次元にある」とレベルの差を素直に認めている。ウォールストリート・ジャーナルは内村を「キング」と呼びさえした。

ただ個人総合の最後で、内村はウクライナのオレグ・ベルニャエフ(22)に0.901点の差をつけられていた。最後の鉄棒で、オレグが14.9点を出せば勝っていたが、点数は14.8点。誰もが、審判が内村に配慮したと疑った。会場からも「ブー」という声があがった。

けれどもオレグ自身が審判の偏りを一蹴してみせた。評点は正しかったというのだ。

もちろんオレグは勝ちたかったに違いない。けれども内村に対する敬意と存在の大きさゆえ、異をとなえるどころか内村こそが「金」にふさわしいという言動をとる。

「体操選手に弱者は1人としていません。ましてや、私たちは『伝説(内村)』と戦っているのです。世界でこれほどカッコイイことがあるでしょうか。彼と一緒に信じられないような演技を披露できたことが何よりの誇りです。しかも航平にプレッシャーをかけられたのです」

4年後の東京五輪では、最大のライバルになりそうである。

人間の可能性というもの

リオ五輪を観ていて、ふと思いあたった。以前、当欄で「オリンピックと限界 」というタイトルのブログを書いた。4年前のロンドン五輪の時である。

「人間が人間である以上、各種目で記録の限界に到達する時がいずれはきてしまう」という内容を述べた。だが、限界をつくるのは人間であり、限界という枠はもしかしたら自己規定によって生み出されるのかもしれないとの思いにかられた。

「いずれは」との考え方は常識的にはしごく当たり前のことだが、記録というものに限界を設定すること自体、世界の第一線で活躍する選手たちに失礼なことかもしれない。

リオ五輪の競泳を見る限り、限界といった言葉は無縁のようでさえあるからだ。

ハンガリーのカティンカ・ホッスーは女子400メートル個人メドレーで世界新を2秒以上も縮めたし、同じく女子競泳400メートル自由形では、アメリカのケイティ・レデッキ―がやはり2秒以上も世界新を短縮している。

たとえば、10年前に400メートルを競ったことのあるスイマーであれば、この記録がほとんど想像できないものであるかと思う。

日本人選手による世界新はなかなか出ないが、人間の可能性というものは計り知れないということを改めて感じるのだ。

これは単に理想論ということではない。いつも前を向いて肯定的に生きる、といった自己啓発的な発想からでもない。

人間には「無極の可能性」というものがあるように思えてならない。

ベイスターズとイケジュン

Baystars8.4.16

たまにはブログらしい写真を1枚。

4日午後6時。横浜スタジアムでタイガース対ベイスターズ戦を観戦。左手で自撮りをしているのはイケジュン。

イケジュンと言ってもお分かりにならないでしょうが、横浜DeNAベイスターズ社長の池田純氏です。35歳で社長になってから5年。さまざまなアイデアを形にし、観客動員数を2倍以上にした手腕は目を見張らせられます。この日も満員御礼。

チームとしても長年のBグループから今年は現在3位に。監督「ラミちゃん」を連れてきたのも彼です。10年以上前、彼が博報堂にいた時からのつき合いです。出会ってまもない頃、こう言っていたのを想い出します。

「堀田さん、ボク社長になりたいんです」

ファイアボールのような熱血漢です。