あらためて角田美代子の犯行を思う

6月9日夜、NHKが放映した故角田美代子の人生を振り返った番組を観た。角田は言わずと知れた尼崎殺人死体遺棄事件の首謀者で、昨年12月に拘置所で自殺している。

私の興味は主に2点ある。なぜ角田が10人以上もの親族を無慈悲に惨殺できる鬼と化してしまったのか。その人間形成の過程に関心がある。もう1点はアメリカでこうした事件が起きたと仮定した時の結末だ。

番組の中で作家高村薫も、なぜあれほど残虐な性向をいだくようになったかに興味があると述べていた。

角田は幼少から中学・高校時代、たいへん不遇な家庭環境で育っている。父親は娼婦のところに入り浸り、人間としてのしつけや家庭教育などというものとは無縁だった。中学時代にはすでに鑑別所に入っている。

人としてどうあるべきかという倫理観を築く前に、犯罪を犯すことが日常化したのかもしれない。人を脅し、コントロールすることで金品を手に入れられる話術を学び、そこに生きる道をみつける。

ただ少女の頃は、帰り道がわからない時に駅で涙をこぼすこともあったという。

人間はたぶん殺人鬼としてのDNAなど持ち合わせていない。角田は犯罪者になる気質を後天的に獲得するが、同時に現代社会で生きるために本来獲得すべき精神性と気質を欠落させてもいる。

逮捕後、拘置所で犯罪者としての人生を振り返るくらいなら、命を絶ったほうがいいと解釈したのだろう。自殺によって周囲が知るべきことが闇に葬られたが、私は角田が精神を病んでいなかったのではないかと考える。

アメリカであれば親族に拷問の限りをつくした人間なので、弁護側はまず精神鑑定によって精神障害者と認定させるような方向で進めていっただろう。それがアメリカ流の戦い方だ。

またアメリカであれば、事件が表面化する前に弱みを握られた親族の男たちの誰かが銃を手にしていた可能性が高い。角田を殺害するか、銃で脅して逆に角田を監禁していたかもしれない。

すべてが終わっているので何とでも言えるが、こうした鬼を誕生させることになった元凶はやはり家庭環境である。どこで、誰に、どう育てられるかで子の人生の大半が決まる。(敬称略)

久しぶりのダウン!

38度近い熱がでたのは何年ぶりだろうか。最初はお腹にくる風邪かとも思ったが、食中毒だった。

少しお腹をくだすくらいでは病院にいかないが、症状が重いし熱もある。「これはまずい」と思って大病院に。血液検査をしてもらうと、細菌性の食中毒という診断だった。

これ以上の詳細を書くことはやめておこう。今日で3 日目。なんとか立ち直りつつある。

大いなる甘さ

先日、フェイスブックについての拙稿を書く機会があった(参照)。

昨年9月にも同じような内容で書いたが、当時はJBpressでの反応は賛否両論あった。ツイッターやフェイスブックで辛辣なコメントや批判もいただいた。ありがたいことである。

昨年も今回の記事も、主張としてはフェイスブックは終わりつつあるという内容だ。今回、ツイッターとフェイスブック合わせて1000件ほどのフォローがあった。前回はもっと活発で、両方で4000件を超えた。特にフェイスブック上での「いいね」は2800件で、思った以上に賛同者がいたということになる。

昨年は、私に対して「コイツは何様だ」的な言い分もあった。それも歓迎したいと思う。ただ、いまになってその時のコメントを読もうとすると、なんと多くが削除されている。

私には削除できないので、書き込んだ本人が読み返して「ちょっと言い過ぎた」と思ったのか、「コメントが汚い」「形勢が悪い」と感じたのか、文章を削除したのだ。

私はジャーナリストという職業がら、反論されることが好きである。どんどん言われても精神的ダメージはほとんど受けないので何を書かれても結構だ。だが短い文章であっても、SNSというネット上であっても、人の眼に触れる場所での文章には書いた本人が責任を持たなくてはいけない。

好き勝手に罵詈雑言を並べて、後で削除するなどとは無責任にもほどがある。自身の主張には責任を持つべきだ。

活字の世界では新聞でも雑誌でも、出版されたものは削除できない。出版差し止めはあっても、一度読者の手にわたったものを回収することはできない。

ネット上の書き込みにはこの点で、大いなる甘さが残る。

三浦雄一郎に国民栄誉賞を!

80歳の冒険家、三浦雄一郎が世界最高峰の頂にたった。これはまさしく偉業以外のなにものでもない。

周囲からの経済的、物理的なサポートがあってのことだが、三浦だからこそこうしたサポートをものにできたのだろう。それも彼の実力の1つである。

それにしても80歳にして、よく登頂したものである。私は高校2年から山に登り始め、大学時代もさまざまな山に行った。カナディアンロッキーにも歩を進めている。精鋭的に登ることに喜びを感じもした。だが最近は1000メートルにも満たない山ですら辞退している惨状である。

三浦は高度にも強いようだ。高度順応のために事前に8000メートル級の山に登っていただろうが、登山経験者でも7000メートル前後で動けなくなってしまう人は少なくない。

以前は高尾山を登るのも辛かったという。以来、日々の鍛錬によって世界トップの山に登ってしまった。野心を持つことの大切さも知るのである。

ただ81歳のネパール人男性ミン・バハドゥール・シェルチャンが今月末の登頂を目指している。三浦の「世界最高齢」という記録は1週間で破られるかもしれない。三浦が75歳に登った時も、シャルチャンが76歳で登頂したため、ギネス記録は彼のものだった。

しかし三浦ほど高齢者にとって励みとなる人はいないので、国民栄誉賞を授与してもいいと思う。(敬称略)

5月のバラ

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東京渋谷区の代々木公園で週末、ジャマイカ・フェスティバルが開かれていた。

過去数年、個人的にジャマイカにかかわりを持っているので雑踏の中にまぎれてレゲエを聴きいていた。ただ人が多すぎて、落ち着けない。

イベント会場の雑然さと対極に位置するように、園内にバラが咲いていた。大輪が心の中に溶け入るようである。