おしん再び

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この人が今月12日に公開される映画版「おしん」の母親ふじを演じている。

「30年前は(泉)ピン子さんがやって、比べられてしまうのでプレッシャーがあった。(依頼を)受けようかどうか迷った。ピン子さんに勝つ自信がなかったけれども、ここねちゃん(おしん役の濱田ここね)を愛したいと思いました。現場で助けてあげたいと思った」

9歳の濱田はオーディションで2500人の中から選ばれた子役だ。2ヵ月におよぶロケに母親はついてこなかった。というより、制作サイドから故意に引き離されたようだ。だから上戸彩がほとんど母親代わりになって助けている。

8日昼、上戸と濱田、そして初代おしんの小林綾子の3人が日本外国特派員協会の会見に現れた。

濱田はマイクを持って、笑顔で記者の質問に答えた。9歳児としては信じられないほど大人の会話についてきている。

「撮影中、自分の親と別れなくてはいけなくて辛かった。しかも監督が厳しい。『お前は何でできないんだ』と言われた。何が悪いのかを言ってくれなかった」

おしんのように耐えて、撮影は終わった。

その日は弾けるような笑みがリンゴのような頬に咲いていた。上戸がそれを静かに見守る。キャピキャピな歌手でありタレントだと思っていた上戸だが、この日は落ち着いたオーラをまとっていた。

もう彼女に可愛いという言葉は当たらない。美麗な女性がそこにいた。(敬称略)

日米2大作家の死

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過去1週間で山崎豊子とトム・クランシーが亡くなった。

両氏ともに面識はないが、山崎の書いた「運命の人」では取材協力をしたことを思いだす。まだワシントンに住んでいた時のことだ。

当初は山崎本人がワシントンにきて取材する予定だった。だが、体調がすぐれず渡米をキャンセル。文藝春秋の編集者を経由して私のところにきたリクエストは、いささかマニアックと思えるほど細かい情報が求められていた。編集者はそれが山崎の普通の取材なのだと言った。

細部へのこだわりを抜きにして鬼気迫る臨場感は生まれない。それはクランシーも同じだ。

デビュー作の「レッド・オクトーバーを追え」は米海軍の軍事情報、特に潜水艦の記述が細かすぎて、編集者のデボラ・グロブナーは100頁ほどを削らせたという。

明らかに米海軍に情報提供者がいると言われたが、本人は機密情報をつかんでいるわけではないし、マニュアルや公開情報を丹念に調べて書いたと述べた。

ただ、そのこだわりが独自のミリタリー・サスペンスの世界を築かせることになった。1984年の初版で手にしたクランシーの印税は5000ドル。だがその後の作品を含めると全世界で1億冊以上を売っている。2人の作品は、ともに映画化された点でも共通項がある。

山崎は88歳。大往生という年齢だが、クランシーは66歳で、まだまだいい作品が期待できた。

冥福を祈りたい。(敬称略)

少しだけ夢のあるストーリー

9月初旬のことである。カナダ西海岸にあるバンクーバー島(バンクーバー市ではない)の海岸に1本のビンが流れついた。

島に住むスティーブ・サーバー(53)という男性は海岸の散歩を日課としており、そのビンを見つける。ライトグリーンのガラス製のビンで、ワインボトルのような形状だ。白い蓋で密閉されている。

見たところ、古そうなビンである。中が少し透けて見えるほど表面が波で洗われている。蓋を固定する金属もサビついている。

よく見ると、手紙のようなものが中にあった。しかも手書きのサインが読める。

「(カナダ)ベリングハム市在住アール・ウィラード、1906年9月26日」

その手紙が本物であれば、107年前に書かれたものということになる。本当だろうか。

100年以上も太平洋に漂い、最近カナダの海岸に漂着したのか。その手紙には何が書かれているのか。

サーバーはアール・ウィラードという名前からできる限りのことを調べた。すると、カナダのベリングハム市で1888年8月28日に生まれた人物であることがわかった。そして1907年に結婚した後、バンクーバーに越していた。

その後アメリカのシアトルに移り、1948年にロサンゼルスで亡くなっていた。電気技師だった。

ビンは1906年にサンフランシスコからベリングハムに汽船で移動中に海に投げたものであることもわかる。

ただ、サーバーはまだビンの蓋を開けていない。手紙を読まずに、名前だけでここまでのことを突き止めたのだ。地元紙に語っている。

「いましばらくは中の手紙はミステリーということにしておきたい。だから開封せずに置いておきます」

(敬称略)

田中俊一という人物

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原子力規制委員会(NRA)委員長の田中俊一が日本外国特派員協会の記者会見に姿を見せた。

ぼそぼそとしたした語り口は相変わらずで、歯切れが悪いという表現がこの人の的確な形容かもしれない。自ら「国際社会に的確に情報を伝えることが大切」と言って公の席にでておきながら、覇気のない表情で言い訳がましいことを述べる姿に、欧米人記者が納得するわけもない。

個人攻撃をするつもりはない。ただあまりにもやる気のない態度がこちらに伝わる。虚脱と呼んで差し支えない姿態である。これまで世界42カ国でさまざまな人とで会ってきた。

モノを変えていける人は彼とは正反対といっても過言ではない。言い方は悪いが「小役人」という風たいである。

これは汚染水問題を国際社会にわかりやすく説明する上で大きなマイナスである。委員長でありながら、自身がスポークスマンの役割を担うことは結構だが、適職ではない。はっきりと述べる。スポークスマンは辞した方がいい。

福島第1原発の地上タンクから汚染水300トンが漏れた件で、会見では「原因については推定であって、確実なことはわかっていない。汚染水は海にはでていない。将来までは保証できないが」と曖昧な表現を使う。

以前は「原子力ムラ」にいた学者であり、東電の側にいた人間だが、いまは東電のことを「危機意識が低い」と言う。こんな人間が、原子力規制を行う中核の組織の長として、中長期的なエネルギー政策と安全対策を前向きに判断できるのか。

すべての問題をアメリカの原子力規制委員会(NRC)に外注で任せたいくらいである。(敬称略)

知らない悲劇

それにしてもニュースというのは悲劇が多い。9割以上は悲劇といっていいかもしれない。

税金があがるとか、基地問題が解決しないとか、東北地方で1時間に100ミリ超の降雨があったというニュースは厳密には悲劇とは呼べないが、あまり喜ばしいニュースではない。広義では悲劇と言っていいだろう。

イチローが4000本安打を達成したというニュースは数少ない喜ばしいニュースで、藤圭子の自殺というのがニュースの典型的な内容かもしれない。

他国のニュースに眼をむけてもそれは同じで、ほとんどが悲劇である。しかも、日本ではまず起こりえない事件があとを絶たない。日本の新聞・テレビでは報道されない内容も多く、唖然とさせられる。

アメリカの、ある住宅に強盗がはいった。家には母親と娘の2人だけがおり、物音に気づいた母親は娘と共に2階の押し入れにかくれた。強盗が1階から2階にあがり、各部屋をあさっている。いよいよ押し入れの手前にきた。

ドアが開け放たれた。母親は強盗であることを確認してから、手に持っていた短銃の引き金を引いた。装填されたすべての弾丸を強盗の上半身に命中させている。日本ではありえない展開だ。被害者が加害者になった瞬間でもある。

そうかと言えば、パキスタンでスンニ派の兵士がシーア派の18歳の女性と親密な関係になり、それだけで兵士は投石刑を受けた。20~30人の兵士が石を投げて「恋した兵士」を死亡させたのだ。100年前の話ではなく、今年の事件だ。AKB48の恋愛禁止という次元の話ではない。

多くの日本人は世界の現実を知らない。それは日本人だけに限らない。世界の出来事を知らなくとも日常生活に支障はないからだ。

ただ、こうした悲劇を知ることによって世界の広さを知覚し、命の尊さを再認識するのである。