大震災から1年

今朝のフジTVに復興相の平野達男が出演していた。

唖然とさせられたのは、最後に一言というところで「復興のビジョンを作りたいと思います」と発言したことである。

今ごろ「ビジョンを作ります」というのはどういう了見なのだろうか。大震災からすでに1年である。理想を言えば、いくつかのモデル都市の建設が終わっていてもおかしくない(もっとスピードを!)。

私は半年以上被災地に足を踏み入れていないが、現地の映像を観たり情報を見聞きする限り、復興がほとんど進んでいないことは明らかである。1年もたってまだビジョンができ上がっていないというのは、本気で復興に取り組んでいない証左である。

「これが日本なんだ」とは口にしたくない。というのもスピーディーに物事を進めて、改革を成し遂げている民間企業がいくつもあるからだ。ただ中央・地方政府はそうした民間企業に全面委託もできず、いまでは今後5年から10年といった悠長な復興を念頭においている。

瓦礫の撤去から始まり、新しい都市計画、住民の意向、新産業の育成、原発にからむ諸問題などを考慮しなくてはいけないことは十分にわかる。だが山積している問題を強引ともいれる行政力を発揮してテキパキこなす政治家がみあたらない(堕ちていくキングギドラ )。

時間が経てば経つほど超法規的な措置を講じにくくなる。いやもう無理か。となると、下のような理想図は理想のまま終わってしまう。内外からの批判を覚悟で、取りあえず動いてほしかったが既定路線以外のことは受け付けない既存の体制にはがっかりさせられる。(敬称略)

またしても生徒会長レベル

今の日本の社会状況で、首相を務めたいと考える政治家の心根には何が潜んでいるのだろうか。

なにがなんでも首相の座に就きたいという個人的野心の実現があるのか、それとも国を真に憂い、自分でなければ建て直すことができないと考えているのか。

残念ながら前者と答えざるを得ない。後者に属する政治家であれば、来週の民主党代表選には出馬しないだろう。

出馬を考えている候補たちは、次の総選挙で民主党が大敗する可能性が高いので総理大臣になるチャンスはしばらくないと判断しているとしか思えない。

代表選に出馬予定の政治家の顔ぶれをみると、首相任期の4年(実際はそれ以上も可)は遠い夢、2年さえもたないと思える政治家しかいない。自らが4年間日本のリーダーを全うできると考える人はいないだろう。つまり4年間という中期的なスパンで、経済政策と外交政策、原発問題を含めた復興の青写真を描けていないのだ。

これでは中学・高校の生徒会長のレベルである。生徒会長の任期も普通1年である。日本の首相がそのレベルでしかないもう一つの理由を農水大臣の鹿野が口にしている。

「出馬を要請する会」から要請依頼をうけ、「本当に重い重い、わたしにとっては要請をいただきましたので、、」と言うのだ。

いみじくも日本という世界第3位の経済大国である。そのリーダーが他人から要請をうけないと出馬をきめられないというのは論外である。これは「謙遜の文化」以前の話である。

自らが手を挙げ、しかも周到な準備を済ませていなくては1億3000万人を引っ張っていけない(リーダーになる準備期間)。

元首相の小泉以来、2年以上努めた総理はいない。日本人は外国人と比較するとかなり羞恥心を抱く国民かと思うが、1年しか務められない首相たちが諸外国に対して強い羞恥心を抱いているようにも思えない。それだけ今の政治家は内向きだということだ。

今の政界を眺めていると、寂しさだけしか去来しない。(敬称略)

堕ちていくキングギドラ

民主党がここまでもの事を前へ進められない事態を見ていると、これは自民党や民主党といった政権党が悪いのではなく、日本の政治システムに大きな欠陥があるという仮説が力をもってくる。

2年前までは、政界の腐敗は政権を握る自民党に諸悪の根源があるとの思いが強かったが、そうではなかった。議員内閣制というシステム、議員、官僚、政党、すべてに改革が必要であることがわかる。

特に昨日、辞任した復興相の松本龍や菅の行状を眺めていると、彼らは英語でいうローメイカー(Lawmaker)、つまり立法議員でしかないことがわかる。それ以下でも以上でもない。行政を任せられない。いや彼らに行政力はない。

国会内で法律を通過させる政治力と国を動かしていく行政力とはまったく違うものである。首相や大統領は国をマネジメントしていかなくてはいけないが、日本の政治家にはその能力が圧倒的に欠如している。

知り合いの衆議院議員が嘆いた。

「菅はあまりにも決断ができない」

復興相などは、ほとんどの国会議員にはつとまらない。1万人くらいの社員を動かしている多国籍企業や組織のトップを連れて来るべきである。 机上論をまくし立てる学者やコンサルタントほど会社経営ができなかったりする。実際に人とモノとカネを動かしている人を復興省の長にすべきである。

                       

        

                                 

アメリカから帰国してから4年。私は日本の統治機構がキングギドラであることに気づいた。頭が3つで体は1つというバランスの悪さを持ち続けている。政治家、官僚、政党がバラバラのままだ。ましてや行政の長であるはずの首相が権限の集権化を実現できていない。

むしろ緩やかな専制政治か有能なビジネスマンを大統領にして日本を動かしてもらった方が、間違いなくコトは迅速に前へ進む。(敬称略)

ある男の勝利

今月22日、ラーム・エマニュエルという男が新しいシカゴ市長になった。

   

             

最初に彼と会ったのは1992年のことである。クリントンの大統領選挙で選挙資金を集めていた。ぎょろっとした目が印象的で、お世辞にも親しみやすい男ではなかった。

当時、クリントンの選挙事務所にはジェームズ・カービルやジョージ・ステファノプロスといった、後に名を馳せた参謀がいたが、エマニュエルがまさか今のような「大物」になるとは思わなかった。

クリントンが大統領になったあと、ホワイトハウスに入って補佐官を務めたが、国民皆保険では失敗したし、際立った有能さは感じられなかった。政権時代に何度か顔を会わせても相変わらずで、98年にホワイトハウスを去っ時には「これで終わり」だと思っていた。

ところが2003年に下院議員として政治家デビューする。そしてオバマが大統領になると主席補佐官の座につくのである。極めて上昇志向の強い男である。 

選挙参謀というのは候補を支えることに尽力する者と「いずれは俺も」と狙っているタイプに分かれるが、彼が後者であることに当時はまったく気づかなかった。そしてこれからはシカゴ市長である。

昨年10月、私は彼を取材するためシカゴに飛んだ。トム・ダートという男がエマニュエルのライバルとして名前が挙がっていた。ダートは選挙のプロ、ジョー・トリピという男を雇って出馬準備を進めていたが、結局選挙には出なかった。エマニュエルはオバマの支援もあって、得票率55%で圧勝する。

80年代から選挙の現場にいた男の究極的なテクニックは選挙資金をいかに集めるかにある。クリントンの時はそれが功を奏した。そして自身の市長選では約990万ドルを集金する。日本円でほぼ8億円である。市長選としては破格の集金額である。2位につけた候補のほぼ倍だ。

将来、この男が大統領選の候補として名前があがっても不思議ではない。私はその器ではないと思っているが、少なくとも集金力と場を読む力はある。これからしばらく注視しなくてはいけない政治家がまた増えた。(敬称略)

リーダーになる準備期間

菅が首相になって7ヵ月がたとうとしている。

6月初旬に首相の座についた直後、鳩山のふがいなさの反動と期待で支持率は60%を超えた。それが日を追うごとに下がり、今では20%台である。

アメリカのオバマも2009年1月の就任直後がもっとも支持率が高く、ギャラップ調査では68%だった。その数字もジリジリと下がり、今では40%台である。だが過去1年、大きな変化はない。

40%台後半の支持率というのは、アメリカ社会が08年のオバマ旋風から、リベラルと保守でほぼ二分されている本来の政治的均衡に戻ったことを示すもので、別段驚くことではない。それよりも菅の20%台の方が危機的な状況だ。

ここで指摘したい点はリーダーになる準備期間の違いである。

菅は鳩山が突然辞任した後、1週間もたたないうちに首相になっている。勝手に「ヤーメタ」と首相の座を降りた鳩山の無責任さもさることながら、すぐに1億2000万人のトップの座につかざるを得ない菅に、国民は期待した。だが首相になるための用意周到な助走時間はなかった。

「いずれ俺が首相になる日が来るだろう」くらいのことは脳裏にあっただろう。けれども、日本という国家をどう建て直すかのブループリントを携えてはいなかった。もし、具体的な日本再建計画を持っていたら、過去半年の体たらくはない。菅政権はまったく別モノとして機能したはずだ。

新聞やテレビは閣僚人事を大きく取り上げるが、問題は閣僚人事などではない。首相が自身の描くビジョンを国民に示し、それを実行できるかにある。菅は頭の悪い人ではないが、準備期間があまりになさすぎた。

これは今後の首相にもいえることで、この点で日本は政治システムを変える必要がある。政治的空白を出さないようにしながら、国のトップを決めるプロセスにはもっと時間をかけなくてはいけない。なによりも、首相候補が少なくとも数十人のブレインを持ちながら、最低でも数カ月をかけて今後の日本という国家のあり方、改革の指針を策定しなくてはいけない。

この点において、アメリカの大統領制はよくできていると思う。むしろ選挙期間が長すぎ、カネがかかり過ぎる欠陥が顕著だ。それでも来年早々に、サラ・ペイリンやミット・ロムニーといった共和党候補が12年の大統領選挙にむけて名乗りをあげてくるはずだ。

    

                            

彼らにはリーダーになる前に2年という準備期間がある。

日本の首相候補には最低でも半年ほどの足固めの時間を与えないと、今後も同じ体たらくが連綿と繰り返されることになる。(敬称略)