年金を考える

当ブログではこれまで様々なことを書いてきたが、年金について詳述したことはほとんどなかった。ただ、自分が年金を受給する年齢になり、実際に銀行に年金が振り込まれるのを確認すると、多くの思いが込み上げてくる。

私はアメリカに25年も滞在し、米政府に社会保障税(Social Serutiy Tax)を長年納めてきた立場なので、66歳以降は米政府から年金を受け取っている。日本では会社員でいた経験もないし、50歳で帰国後にフリーランスで何年か働いただけなので、日本政府からは基礎年金(国民年金)を本当に子どものお小遣い程度の額で受け取っている。

どうして年金について書くことにしたかといえば、今朝(10月18日)の朝日新聞朝刊に年金についての長文の記事がでていたからだ。記事に紹介されていた女性は85歳。高校卒業後、水道関係の会社に就職したが2年で辞めて結婚。だが離婚し、40代後半から再び働きはじめた。現在の収入は国民年金と厚生年金をあわせて月に9万3000円だという。

団地の家賃が4万5000円。残りの4万8000円で光熱費をまかない、介護サービス費も支払っている。贅沢はできない生活で、「本当にギリギリ。長い間、洋服も買っていないし髪も自分で切っている」と語る。高齢化社会のいま、この女性のような経済状況の人は少なくないはずだ。

ただ、平均的な賃金で40年間はたらいた男性と専業主婦の2人が受け取れるモデル年金は、基礎年金と厚生年金を合わせて月に23万円。基礎年金だけの場合は40年間働いても月に6万円にしかならない。

ましてや7月に発表された公的年金の今後の見通しは決して明るいものではない。労働人口がこれから劇的に増えるわけでもないため、年金の給付水準は今後2割ほど減ると予想されるのだ。石破首相が将来の保険制度を抜本的に改革して、「心配のない年金制度」を構築できるかどうかは疑問だ。今後は保険料に金融所得や金融資産を反映させるという方向も一考に値しようが、日本政府が本当に機能しているかどうかをはかる指標が、この年金問題への対策になるだろう。