眼球って縫えるんです(3)

帝京大学医学部付属病院に決めたのは、自宅から比較的近かったこともありますが、私の病気(網膜前膜)の治療実績が昨年度、東京都で3番目に多かったからです。ちなみに1位は昭和大学病院、2位が日本大学病院です。

入院日がきまると、担当のM先生は手術内容を丁寧に説明してくれました。失明の可能性もないことはないですが、確率は0.1%。1000人に1人です。

ただ「アチャー」と思われたのが、手術中に網膜に穴があいたり、多量の出血が起きることがある点でした。その時はガスを眼球に入れて安定させ、術後5日くらいはずっと下向きで生活しなくてはいけません。状況次第では、10日間ほどの入院もあると聞かされました。

そうなると、寝る時はマッサージなどで使用される頭部に穴のあいたベッドで、うつ伏せで寝ます。起きているときも、首をずっと前に折り曲げて下を向かざるを得ない。「落ち込んだおじさん」をずっと続けなくてはいけないわけです。

「その時は頑張ってください」

平然とM先生は言ったので、私も平静を装って「頑張ります」と即答しました。「下向きおじさん」にならないことを祈って・・・。

初めての入院

60歳になるまで入院経験はありませんでした。緊張で胸がドキドキするというより、知らない世界を体験できるという興奮の方が勝っていて、少しばかり楽しみでもありました。死ぬことはないですし、未開地を探索するような思いだったのです。

原稿の連載は1週間ほどお休みをいただき、テレビ局のディレクター数人にも1週間は出演できないと告げました。

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帝京大学医学部付属病院は新しいビルができて8年目でした。まだすべてがピカピカという印象で、入院病棟はベッドからシャワー室まで新築のにおいがするほどです。

眼科の病棟は7階で、中央にスタッフルームがあり、取り囲むようにして病室が配置されていました。手術前日に入院し、翌日の夕刻に手術をするという段取りでした。

病室に入っても、左目以外はいたって元気なので、何を食べてもいいということでした。持参したパジャマに着替えるまえに妻と一緒に病院1階にあるレストランで昼食をとり、さらにドトールコーヒーでお茶を飲んでくつろぐという、入院のイメージとはかけはなれた時間を送りました。

ただ妻が帰り、パジャマに着替え、夜になって病院食(写真)が出された頃から、ようやく入院したという実感がわいてきました。

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食事はご覧のとおり、「シ・ン・セ・ン」でした。

そして午後9時に消灯になると、病人らしい振る舞いをしなくてはいけないような思いに駆られましたが、病室ではずっと隠れてテレビを観ていたのです。「意外に楽しめる」と自身に言ったほとです。

翌日、何が起こるかも知らずに。(続く)

眼球って縫えるんです(2)

(昨日からの続きです。今日は手術から3日目。まばたきをすると、まだ眼球の縫い糸がチクチクします。殴られたあとのように、いまだに白目は全面充血しています)

自宅の近くの眼科医にいくと、すぐに眼底写真を撮られ、簡単に診断がでました。

「網膜前膜(もうまくぜんまく)です」

医師ははっきりした口調で断定しました。ネットで調べた病名にはなかった診断だったので、もう一度聞き直しました。

「黄斑上膜ともいいます」

生まれて初めて聞く病名でした。すぐに反応できずにいると、医師は早口に「この病気に自然治癒はありません」と言い、このままだとどんどん視力が悪くなると告げてきました。目の前に暗いベールがかかるようでした。

「ただ短期間で悪くなることはないですから、しばらく経過観察をして、手術するかしないかを決めてください」

薬はいまのところ開発されていないので、手術しか手立てはないという。放っておくと、ほとんどの患者は視力が0.1以下にまでさがるらしい。ただ高齢者であれば、手術をせずにそのままにしておく人もいるということでした。

レーシックの問題点

医師との会話の中で、私が以前レーシックの手術をしたことを話しました。すると医師は目尻に少しシワを寄せて、「レーシックですか・・・」と浮かない顔をしたのです。

角膜にレーザーを照射して視力を矯正するレーシックが多用されはじめたのは10年ほど前です。年間40万人くらいの人が受けていました。しかし今では手術を受ける人はずっと減っています。というのも、問題点が多く指摘されはじめたからです。

私がアメリカでレーシックを受けたのは2000年でした。アメリカでは年間100万人ほどが手術を受けていた時期です。近視の人は受けるべきという風潮さえありました。

しかし近年は視力低下や網膜の病気を併発する症例がずいぶんと報告されています。もちろん何の支障もきたさない人の方が多いです。

忙しい眼科だったので、医師は手短かに病状を説明しただけで診察を終わらせようとします。最後に私が「手術する場合は・・・」と言うと、「ここではできないので、大学病院に紹介状を書きますよ」と返答しました。

自宅への帰り道、この医師には頼みたくないと思いました。事務的な冷たさが嫌だったからです。あらためて別の眼科医に診てもらうことに決めましたが、心には厚い雲が垂れ込めていました。

ネットで網膜前膜のことをずいぶん調べてから別の眼科医で診てもらうと、診断は前回と同じ「網膜前膜」。病名は確定しました。ただ2人目の眼科医は、いわゆる上から目線ではなく、患者と同じ視線にたち、親身になって話を聞いてくれます。

やはり手術しか治す手段はないという答えだったので、その時点で手術を受けることに決め、硝子体(眼球)を専門にしている帝京大学医学部付属病院の眼科に紹介状を書いてもらうことにしました。

生まれて初めての入院が迫っていました。(続く)

眼球って縫えるんです(1)

これから数回にかけて大学病院で体験した手術や入院生活について書いていきます。少しエグイ話もでてきますので、苦手な方はパスされてください。

まず、手術を執刀してくださった帝京大学医学部付属病院のM先生に感謝を述べるところから始めてさせてください。

やさしい言葉づかいと人を包み込むような暖かさのあるお医者さんでした。医師4人による手術チームの手さばきは実に見事で、深い敬意とともに謝意を表したいです。

いま私は、予定よりもずっと早く退院して自宅にもどり、パソコンでこのブログを書いています。

眼球を縫う

手術で左目の眼球を5カ所も切りました。ミリ単位の小ない器具が眼球の中にはいり、前膜という本来あるべきではない膜を引き剥がしてきたのです。

器具を抜いたあと、穴の空いた白目の部分を縫い合わせるという作業をしています。いま私の左目は真っ赤っかです。まばたきをするたびに糸が当たり、チクチクします。

白目の部分から器具が目のなかに入るということを想像しただけで、フーッと思われる方も多いかと思います。最初は私もそうでしたが、それが最善の選択なのだと思い、手術をして頂くことにしました。

何があったのか。時間を半年ほど前にもどします。

乱視にちがいない

ある日、仕事場に向かう時、左目の視界が少しゆがんでいるような気がしました。右目をつむり、左目だけでビルの壁を見ると真ん中がくぼんで見えたのです。

ただ視界全体に大きな支障はありません。仕事場について、パソコンの前に座って画面を見ると違和感はありません。視界のゆがみは感じられませんでした。

その後、日によってゆがみが大きくなるようでもあり、治っているようでもありました。どうしても眼科医にいかなければいけないという状態ではありません。

それでも日がたつにつれ、左目の視界のゆがみは否定できないところまで大きくなってきました。右目はなんともありません。

最初は乱視だろうと思っていました。グーグルで「視界 ゆがみ」と入力して検索すると病名がいくつもでてきました。

緑内障、網膜剥離、加齢黄斑変性症、中心性漿液性網脈絡膜症、網膜動脈閉鎖症、乱視・・といった「これはかなりヤバイ」と思えるような病名がたくさん並んでいました。

ましてや60歳という年齢を考えると、単なる乱視ではなさそうだという思いは強まるだけでした。(続く)

しばらく休養

10月22日から1週間ほどお休みをいただきます。

手術・入院のためです。退院後、詳細をご報告いたします。

それまでベッドの上で静かに過ごしたいと思います。