プラハのキャンディ専門店で見つけたイチゴのキャンディ。怖くて食べられませんでした。
旅ですること
旅の流儀と呼べるほどのことではないが、外国にでた時に3つのことをするようにしている。以前にもこのブログで書いたかと思う。
ひとつがタクシーに乗って運転手と話をすること。もう一つがマーケット(市場)へいくこと。最後が富裕層と低所得層の住宅街を訪れること、である。
9月2日のブログで東欧に来ていると書いた通り、いまも旅の途上である。プラハの空港からホテルまでタクシーに乗った。
ドライバーの英語があまりにもうまいので「英語はどこで学ばれたんですか」と訊くと、「自分でテレビや映画を観て勉強している」と言う。語彙力も話すスピードも、ほとんど英米人と変わらないくらいのレベルである。
彼だけが特別なのだろうと思っていたら、チェコにきて3日間、1人を除いて会う人はみな英語をかなりのレベルで話していたのには嫉妬を通りこして脱力感を味わうほどである。チェコ語がアルファベットを基礎にしていることもあるが、恐れ入りましたと脱帽するしかない。
しかもドライバーは私の多くの質問にかなり的確に、そして丁寧に答えてくれた。ここからは英語力というよりドライバーの教養や性格によるところが大きいが、「ホテルまではどれくらいかかりますか」という質問に、彼は「24分から27分です」と言ったのだ。
「30分はかからないくらいです」ではないのだ。そんなに具体的な数字をだして大丈夫なのかと思ったが、ホテルまでの所要時間は26分。着いてから驚いて訊くと、「今日は渋滞がないことを知っていましたから」と涼しい顔である。
30分の会話のなかでもっとも印象に残っている彼の発言は、「いまのEUでは、ドイツが実際の戦争をせずに勝ち続けています」の一文だった。
「経済的に圧倒されているということ?」
「そうです。ヨーロッパはドイツにやられています」
チェコの隣国がドイツである。彼の言葉を信じれば、ドイツ人の平均月収はチェコ人の2倍以上。車を含めて多くの製品の性能や機能はドイツ製が勝る。それがドイツという強国を隣国にもつ国民の悲哀であり嘆きに聞こえた。
プラハの町は中世にタイムスリップしたようで、観光者をメルヘンの世界に誘う魔力があるが、そこで暮らす市民の心にはヨーロッパ諸国が直面している現実の厳しさがのしかかっていることを知った。
プラハ城から望んだ市内中心部
プラハ中心部から南東に7キロほどいった一般的なマンション
ここはどこの国でしょうか
米ロの新たな覇権あらそい
これこそが米国らしさと言うべきなのだろうか。
同システムを導入した国は、どの国であろうとも制裁を課すと脅したほどである。
ロシア製であるだけに、ドナルド・トランプ政権が過敏に反応するのも分からなくはない。米政府の「許すまじ」という強いトーンの背後からは、単に敵対的な姿勢だけではない複雑な国家関係が浮上してきている(続きは・・・米国の覇権に赤信号、ロシア製最新鋭ミサイルの威力)。
マケインとの思い出
ジョン・マケインが亡くなった。過去20年以上、私は何度となく彼の演説を聞き、2000年大統領選では短い時間だったが話をする機会があった。
老練でありながら、けっして尽きないような活力を携えていた。話をするときは澄んだ瞳をこちらにむけて、眼球をつかまれるかのような迫力があった。
1967年にベトナム戦争に従軍したとき、パイロットだったマケインは撃ち落されて大ケガを負う。両手を骨折し、ベトナム兵に助けられるが満足な治療をしてもらえず、右手は生涯肩の高さよりも上にあげることができなかった。
1982年に連邦下院議員になり、87年からは上院議員として30年以上も再選しつづけた。共和党の議員でありながら、重要な社会政策では民主党主導の法案に賛成票を投じる人だった。トランプがオバマケアを廃止する法案の採決時も、トランプに反旗を翻した。
2000年の大統領選ではブッシュに敗れたが、ブッシュの任期がおわる2008年にまた大統領選に出馬。
共和党の正式候補になったが、今度はオバマに大差をつけられて負けた。
しかし撃ち落されても諦めず、なんども這い上がってくるエネルギーには感服させられた。そして稀に見るほどの野心家だった。自身が思ったことは世界中を敵にまわしても貫き通すほどの強い信念の持ち主だった。
どれほど大統領になりたかったことか。トランプではなくマケインになってほしかったくらいだ。(敬称略)