アリャの回数

たまに「偉そうだなあ」と思う。

ブログで書く内容もそうだが、仕事で書く原稿も、あとで読み返すと「エラソー」と思うことがよくある。世間的にいう「上から目線」というものだ。

書いた内容が契機となって社会が変わればまだしも、「それで?」と言われて終わることがほとんどだ。それが現実だろうと思う。

しかも最近はふがいない自分にあきれることが多い。

数年前まで財布や名刺入れ(スイカが入っている)を持たずに家をでることなどなかったのに、このところ数カ月に1度くらいの頻度で「アリャ」と顔をしかめる。

今朝もあった。最寄り駅の改札を入ってから精算機でスイカのチャージをした。そして仕事場のあるJR有楽町駅の改札をでようとしたとき、赤ランプが点灯して出られない。

チェージしたのに、、、。

名刺入れに収めたはずのスイカが入っていない。財布もすみずみまで探した。ポケットの中も鞄の中もあたったがない。子どものように泣きたかった。

スイカを精算機から抜き取らなかった可能性がたかい。すでに誰かに盗られてしまったかもしれないが、ここは日本である。いちおう駅に電話をしてみることにした。

担当者は親切だった。まるで先方がスイカをなくしたと思えるほどの口調である。私のスイカは名前が印字されていないので特定できないとのことだったが、過去2日ほどの電車の使用履歴を伝えると、私のスイカが駅の事務所に届けられていた。

単なる不注意ということではない。何しろ確実に「アリャ」」の回数が増えているのだ。

「アルツ入りましたあああ!」と言われそうなので、認知症診断テストを密かにパソコン上でやってみた。

フー、だいじょうぶ、、、ほっと胸をなで下ろしている。

これで最後:インサイド・インド

くどいようで申し訳ないが、4月のインド行についてもう1回だけ書きたいと思う。

インドはBRIC’sの1国として経済発展がめざましいことは疑いようもないし、IT企業が興隆し、遠くない将来に中国を抜く大国に成長するという予測も妥当だろうと思う。

ちょうど総選挙が終わり、10年ぶりに野党が圧勝してインド人民党のナレンドラ・モディが新首相になることがほぼ決まった。だが実際に見て聞いて触れたインドは少しばかり違う。率直に述べると、「この国は20年たっても先進国にはならない」というものだ。

たかだが10日間の旅であり、インドの表面を多少ひっかいたに過ぎないので、「10日間で何がわかるのか?」と言われてしまえばそれまでだが、主要メディアやテレビ番組のほとんどはありのままのインドを伝えていないと言わざるをえない。

たまたま17日夜、TBSの「世界ふしぎ発見」でインド特集を放映していた。そこには豪華絢爛のキレイなインドがあった。これから書くことはその対極のインドである。

観光者を狙い打ちにする「観光談合」の卑劣さや、社会ルールなどあってなきに等しい倫理観の低さ、見通しの暗い貧困層の将来など、暗部の底は見えない。

タージマハルを観た(タージマハルへ走る )直後のことを記したい。

ひとしきり優美な建築物の写真を撮って、園内を歩いてもまだ午前7時。あとはホテルに戻るだけだった。朝食も食べていない。

西門というゲートから入り、同じところから出てもよかったが、東門というゲートもある。ホテルの方向はわかっていたし、歩いても15分ほどだと思っていたので東門からでた。

門を出てから50メートルほど歩いて気づいた。

「スラム街だな」

それでも、5分も歩けば街を抜けると思って早歩きで進んだ。すでに何匹かのハエが体の周りを飛び回っていた。場所によっては臭いがきつい。過去にこれだけの悪臭を嗅いだのはいつだったか思い出せない。それほどの臭いだった。

ブロックや赤煉瓦を積み上げただけの簡易な住まいは、国が違っても似たような外観になる。共通しているのは、道路から家屋に入るドアがないことだ。外から部屋の中が丸見えである。家財道具がきわめて少ない。

家の前には生活排水と下水がまざったドブが流れる。どどめ色というものがあったはずだが、何色の汚水と述べたらいいのかわからない。

野良犬がよたよたとあちらこちらと動き回っている。豚もノソノソと歩いている。1匹や2匹ではない。

「ああああ、ダメだダメ」

ゴールデンレトリバーほどの大きさの豚が、ドブの中に体を半分漬け込んでいる。豚というのは本来、きれい好きな動物と聞いていたのだが、、。体の周りを飛ぶハエの数がいつのまにか増えていた。

空き地にはゴミが無造作に投げ捨てられ、小山ができている。そこに数匹の牛がたわむれている。すぐ横で2、3歳に見える女の子が朝早くからゴミを掘り起こしている姿がある。

これまでも数多くの途上国を訪れていたので、スラム街に驚くことはない、、、つもりだった。ペルーのシャンティ・タウン、ブラジルのファベーラ、エジプト、ガーナ、どこにでも貧困層の住宅街はあった。メキシコシティ郊外にある世界最大のスラム街では、なんとか生きていますという人たちが溢れていた。

だが自力で彼らがそこから脱するのは並大抵のことではない。

インドの法律では、すでにカーストは否定されている。けれども、目に見えぬ階層は相変わらず市民を枠にはめ込んだままだ。差別は歴然として残る。

6歳から14歳までの子どもたちに無償教育をするという教育法が成立したのは4年前のことだ。だが8000万人の子どもたちが小学校を終了せずにドロップアウトするという。

時計をみるとすでに30分以上も歩いていた。汗が噴きでている。永遠に終わらないスラムであるかのように思われた。身の危険は感じなかったが、粗末な家屋の連なりは途切れない。世界遺産のすぐ横である。

「インドよ、いったいこのザマはなんなのだ。30年前よりはまだまし、などと言わないでくれ」

この現実を直視せずしてインドが先進国になれるわけもない。しかもそこはアグラといわれる地方都市に過ぎないのだから。他都市でも低所得者の住環境は似たりよったりである。 

ただそこに住む人たちは、くったくのない顔つきで道を教えてくれた。それが救いだった。40分近くたって、ようやく車の走る道路にでて3輪タクシーでホテルにもどった。

年間400万の観光者を吸いよせるタージマハル。彼らの何パーセントが東門からでてスラム街を歩くのだろうか。私はたまたま東門からでたが、ガイドや事情を知る人は「東門からはでないように」とアドバイスしているのだろうか。できれば全員に東門からでてほしいと思う。それがいまのインドを見る好機だからだ。

新首相のモディはこの国をどう変えていくのだろうか。(敬称略)

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インドから届いたスーツ

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今朝、小包がひとつ自宅に届いた。

「インドから」と書かれていたので、察しはついていた。先月、インドを旅した時、ジャイプルという都市で仕立てたサマースーツである。

ただ手元にとどいた小包は、まるで紅茶が詰め込まれているかのような約25センチ四方の堅いパッケージだった。

「ン、、、スーツ以外にも何か買って送ったか?」

いちおう紳士用スーツである。ここまで小さく、堅くしていいのか。しかも布で包んだあと、開口部を糸で縫ってある。

恐る恐る開ける。中から何重かに織り込まれてシワシワになったスーツがでてきた。やってくれるものである。

実は、ジャイプルという都市は繊維産業がさかんで、スーツだけでなくスカーフやカーペットも生産している。

ある日の昼過ぎ、スーツを仕立てた店では手際よく10カ所ほどを採寸してくれ、その日の夜に仮縫いができるとのことだった。ホテルまで試着のために出向いてくれるという。

「実は午後にプシュカルという町まで移動するのです。試着は無理ですね」

だが先方は平然と言った。

「だいじょうぶです。100キロ先までうかがいます」

翌朝、本当に若い社員がバスに乗って、わざわざ試着のためにプシュカル(時間のなくしかた )のホテルまでやってきた。部屋で試着し、少しばかりの直しを指示すると男性は笑顔で帰っていった。やってくれるものである。

いい意味でも悪い意味でも期待を裏切らない、、、インドなのである。

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ジャイプール郊外の アンベール宮殿と観光者を乗せるゾウ

もうひとつの長寿番組の終焉

タモリの「笑っていいとも」が終わったと前回のブログに書いたら(どこまでが天性なのか)、今度はアメリカの長寿番組の司会者デイビッド・レターマンが来年中に降板するという。

日本ではほとんど馴染みのない人だが、アメリカでは知らない人がいない。3大ネットワークのひとつCBSで「Late Show」という夜11時代の番組を長年つづけてきた。CBSに移る前はNBCでも同じような番組の司会を務めていたコメディアンだ。タモリと同じ1982年に番組を始めているが、「笑っていいとも」のような生番組ではない。

アメリカではその時間枠の番組構成が過去何十年も変わっていない。司会にコメディアンが起用され、番組の冒頭では毎日ジョークをいくつも繰りだす。

私は1982年に留学でアメリカに渡った時から、なるべくその時間は番組を観るようにしていた。最初はジョニー・カーソンという人を観ていたが、彼が辞めたあとはレターマンにチャンネルを合わせた。というのも、彼らの繰りだすジョークが英語の勉強に役立つと思ったからだ。 

役立つというより、どれだけ聴き取れるかが英語力のバロメーターになると考えていた。最初はまったく笑えなかった。というより、何の話題のジョークであるかさえもわからなかった。

そのうちに、「クリントンについてのジョークだな」ということはわかってきたが、最後のオチで笑えない。ジョークは構成作家やスタッフと一緒に練りこまれており、英語力だけでなく、アメリカ社会についての知識がないと笑えないことが多い。アメリカを包括的にどれだけ理解しているかを如実にしめすものでもあった。

辛いのは、周囲にアメリカ人がいるときだ。皆が笑っているのに1人だけ笑わないのは奇異にうつる。最初の頃は皆が笑ったあとに一呼吸遅れて「ヘッヘッヘ」とやっていた。実に虚しかった。

そのうちにジョークの意味がわかり、一緒に笑える時がきたが、それでもすべてのジョークで笑顔をつくれない。英語が聴きとれたとしても、話の主人公に馴染みがなかったりするからだ。

さらに笑えない時もあった。英語もオチも理解しても「ジョークとして面白いか?」という時である。日米両国には笑いのツボに微妙な違いがある。

ただレターマンとタモリに共通するところは、どんなゲストが登場してもわけ隔てなく接し、知らぬうちに視聴者を楽しませていることだ。前回も書いたが、それも天質といえるだろう。

2人が毎日つづく番組から姿を消すのはやはり寂しい。