ある本屋の終わり

東京、池袋にある本屋「リブロ」が6月末で閉店する。

私がもっとも頻繁に立ちよる本屋であり、もっとも好きな本屋なので、なくなるのはたいへん残念である。

2014年2月期決算は黒字だったというから赤字が理由ではなく、トーハンと日販の駆け引きのなかで、現在の居場所である西武百貨店から出なければいけなくなったらしい。

数年前、本を読むためにタブレットを購入したが、いつの間にか紙の本に逆戻りしていた。アメリカではもうハードカバーもペーパーバックも、売上では紙の本よりも電子の方が上である。

けれども、私はどうやら時代と逆行しているようだ。本屋のなかを歩き回ると、学生時代に感じた喜楽がよみがえる。

本を手にして目次を一瞥し、著者の経歴をみて、本文を少し読むという行為は本屋でしかできない。しかもかなり短時間で数十冊の本に目を配らせることができる。

池袋リブロは本のショールームといえるような店構えで入りやすかったし、本を手にとりやすかった。

ただ本屋はもっと知恵を絞れる気もしている。これまで考えも及ばなかった店内のレイアウトがあるはずだ。さらに店舗内で電子書籍の割安なダウンロードを提供することも可能だろう。

リブロは現在、他に店舗スペースを探しているらしいが、候補地探しは難航しているという。

その場から姿を消すということは、友を失うような寂しさがある。

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振り込め詐欺は人生の終わり?

振り込め詐欺の被害が増えている。

最近は「私に限って騙されることはない」と思っている人でも、巧妙な手口で現金をもっていかれることがある。

昨年の被害総額は約376億円で、前年比で被害額は5割も増えた。過去にうまい汁を吸った犯罪者が手口を変えて、繰り返し詐欺をしている可能性が高い。

騙された人の中には「騙された自分が悪い」という意識を宿し、家族に責められて自殺した人たちもいる。

詐欺罪(刑法246条)は10年以下の懲役で、被害状況にもよるが、初犯であれば有罪判決が出ても執行猶予がつくことが多い。犯人たちは必ずしも塀の中に入るわけではない。

私はかねてから振り込め詐欺を犯した詐欺師たちの量刑があまいと考えている(日本人はもっと怒っていい )。

裁判所は懲罰的な量刑の判例をつくることが望ましいかと思う。現行法では無理があるだろうから、法律を改正すべきである。

いや、それこそが振り込め詐欺を減らす起点になりはしないか。見せしめという考え方は卑しいが、少なくとも十人単位の人間を騙した犯罪者には恩赦なしで100年以上の実刑をだしてもいい。

20人を騙した場合、1人について懲役5年とすれば加算して100年という期間になる。振り込め詐欺をすると、それだけで人生を棒にふるという社会通念を築くのである。

たとえば中国ではヘロインを50グラム以上密輸した時には死刑になることがある。諸外国を眺めると、特にスペインとアメリカで量刑が厳しく、数千年から1万年超という冗談のような量刑がだされたことさえある。

いずれも強姦罪が対象だが、1994年に子ども6人を強姦して有罪判決をうけたスコット・ロビンソンの量刑は3万年だった。被害者1人に対して懲役5000年である。

そこまでいかなくとも、振り込め詐欺で年配者の預金を食い物にする犯罪者には怒りの鉄拳をくらわせるべきだ。大々的に量刑の重さを社会に告知し、「振り込め詐欺は人生の終わり」という事実を定着させればいい。

司法はそれくらいのことはすべきであると真剣に考えている。

男女5人、冬物語

先日、幼なじみの男女5人で晩御飯を食べた。内訳は男子2人と女子3人である。

5人とも57歳なので、男性と女性と書くほうがふさわしいが、幼稚園の時から知っている人もいるので男子と女子の方がしっくりくる。5人は同じ小学校と中学校に通った。

ただ過去50年ほど、ずっと仲がよかったわけではない。別に喧嘩をしていたわけでもないが、クラス会や同窓会といった機会をのぞいて、5人がどうしても会わなければいけない理由はなかった。

学校を卒業してしまうと、仲のよかった友達でさえも疎遠になることが多いし、ましてや同じ学年にいた旧友という理由だけで晩御飯を食べようという話にはなかなかならない。

私ともう1人の男子が時々ご飯をたべていることもあり、「小・中学校で同じ学年だった女子を誘って新年会をしよう」という流れになって実現させたのだ。

5人が20代や30代、しかも結婚前であれば下ごごろがあるかもしれないとの警戒心が、特に女子の心中に宿ったかもしれない。

だが全員が既婚者である。結婚していても、、、との邪念もあろうが、少なくとも5人にはない。孫のいる人もいる。

5人に共通するのは、いまの生活に互いの利害がまったく関与していないということだ。仕事もお金もからまない。

仕事仲間とか趣味の集まりで一緒ということでもない。生活がからみ合わないのだ。それであるのに話は5時間も6時間もつづく。しかも昔話をしているだけではない。

スイートスポットと呼べるような居心地のいい空間は、小・中学校時代に無意識のうちに共有した同じ住環境や教育環境に拠るところが大きいように思う。たぶん、それは多くの方が幼なじみと顔を合わせたときに体感する情感である。

9年間も同じ学校で、同じ授業を受けてきた残影がそこかしこに浮遊しているようだった。

あの時代に戻れるのであれば、学ランを着てみてもいいと一瞬だけ思った。ただ、本当に一瞬である。

今日は柔らかいお話を「デス・マス」体で。

6年ほど通い続けているところがあります。ある鮨職人のもとにです。今月2日、彼が銀座に新しいお店をオープンさせました。銀座4丁目に建った新しいビルの中に入った「あらた」です。

店主の名前が新妻賢二なので、最初の漢字「新(あらた)」をとった店名です。それまでは鰤門(しもん)という店で気合いのこもった鮨を握り続きてきました(鮨の舞台 )。

大学時代は4年間、駅伝を走り続けた屈強のランナー。箱根には惜しくも出場していませんが、最近まで、夜中に仕事が終わってから、自宅まで10キロ以上の道のりを平然と快走していた逞しさをたずさえています。

これから創造していく「あらた」な鮨ワールドを、カウンターに座りながら観ていきたいと思っています。(敬称略)

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同じジャーナリストとして思うこと

後藤健二さんが殺害されたことは大変残念であり、無念である。

個人的に後藤さんにお会いしたことはなかった。実はイスラム国に拘束されるまで名前も知らなかった。

亡くなられた方はもう何も語れないので、軽率な批判をしてはいけないのが業界の常識だが、同じジャーナリストとして少しばかり思うことを記したいと思う。

今回、後藤さんは単身でイスラム国に入りこんだ。いい比較ではないかもしれないが、第2次世界大戦中に、日本人でありながら「ジャーナリストですから」と言って日本軍ではなくアメリカ軍のなかに飛び込んでいくような勢いと危うさを感じていた。

これまで戦争報道をしてきたジャーナリストは数多い。彼らの多くは自国軍の兵士たちと行動を共にすることがほとんどで、それこそが身の安全を一応ではあるが確保することにつながっていた。

本人はシリア入国後に「何が起きても責任は私にある」といったことを述べていたし、イスラム国に拘束されることをいとわないようなニュアンスも伝わってきていた。反シリア政府軍から記者証を発行されていたようだが、それがイスラム国への取材許可であるわけではない。

週刊誌で書かれたような10分の動画で100万円単位の報酬を手にできるといったことが動機だったかどうかはわからない。

同じジャーナリストとして、時にはリスクがともなう取材を行うこともあるし、それが精神的高揚をもたらせることも知っている。だが敵と呼んで差し支えない犯罪集団のなかに自ら飛び込んでいったことは、シリアを知っている彼であってもやはり無謀だったのではないか。そう思えてならない。

しかも湯川さんを救いだせると本当に考えていたのか、私には正直わからない。後藤さんは昨年10月25日、日本にいる友人に「月末までに戻る」というメールを送っていたらしい。となると、短期間で湯川さんの救出が可能だと真剣に考えていたのか。

私はシリアにもイラクにも行ったことがない。近隣国ではトルコとエジプトまでである。危ういという点で少しばかり共通項があると思えるのは北朝鮮だ。首相や議員の訪朝団と一緒に行ったのではない。プライベートな訪朝である。

2011年に北京経由でピョンヤンに入ったとき、入国直後にパスポートを現地の人間にとられてしまうことを事前に聞かされていた。

韓国人の友人は「10億円もらっても私はいかない」と言った。それほど信用できない国だという。さらに他の友人は「拉致されてもおかしくない」とも口にした。確かにその危険性がないとは断言できなかった。

だが、滞在期間中にどこを訪ねるのかといった行動プランは出発前に8割方、できていた。実際、その通りに動いた。同時に、ピョンヤンに行ったからと言って北朝鮮に拉致された日本人を救い出せるとも、彼らがどこにいるかの情報を得られるとも思っていなかった。

ただ「もしかして自分が拉致されたら、、、」という危惧は滞在中、消えることはなかった。「まあないだろう」という期待でしかなかった。

北朝鮮とシリアでは危険度に大きな差があるが、後藤さんはイスラム国に拉致されたとしても、ジャーナリストとしてアリと思っていたのではないか。今年になるまでイスラム国に日本人が殺害されていなかっただけに、殺されることはないとの期待があったのではないか。

いまとなっては虚しい疑問である。やる方ない気持ちでいっぱいである。