堀田佳男 Profile
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メタ情報
カテゴリー: Thought for the day ― 2019年2月16日
中学校再訪

私は東京の中野区江古田というところで生まれ育った。小中高とずっと公立で、中学校は自宅から歩いて7分の中野区立第11中学校というところだった。

2008年に統廃合されて今は緑野中学校という名前に変わったが、いまも同じ場所にある。その母校から講演に呼ばれたので今朝、話をしてきた。1年に1度、「職業講話」という講演会をやっており、私と同学年で元PTA会長のH君の紹介で講演が実現した。

母校に呼ばれるというのは大変ありがたいことで、卒業以来40数年ぶりに訪れた。当時は木造2階建ての校舎だったが、いまは鉄筋3階建てになっていてエレベーターもついている。校長先生が講演の前にを校内を案内してくれた。

土曜日でも授業をしており、訊くと月に1度だけ土曜登校があるという。上ばきが懐かしい。オフホワイトの地に赤い線の入った靴だ。

私はジャーナリストになった経緯と仕事の内容を話した。「自分の適正を見据えて得意な分野を伸ばしてください。情熱と同時に冷静な自己分析もわすれずに」と、偉そうなことを言ったが、終わってから女子生徒が感謝の言葉を述べてくれた。

大人よりも分別をわきまえていると思えるほど冷静で思いやりのある言葉だったので、自然と頭が下がった。中学1年生に頭を下げたのは初めてだったが、それくらいいい時間が持てたということだったのかもしれない。

彼らの表情を見ていると、日本の将来は明るいと思えるほどだった。

カテゴリー: Thought for the day ― 2019年2月7日
両手握手のあたたかさ

昨日、テレビ朝日ワイドスクランブルに出演したとき、私はいつもと少し違う動きをした。

いつもであれば、出番が終わるとすぐに席を立ってスタジオを後にするのだが、昨日は担当のコーナーが終わってから、レギュラー・コメンテーターの杉村太蔵、弁護士の萩谷麻衣子、元NHK解説員の柳澤秀夫とスタジオ内で座ったまま少し話をした。

そこで司会を務めるテレ朝アナウンサー大下容子の番組の回し方がうまいという話になった。大下も話を聴いており、本人は「イヤイヤイヤ」と首を振る。いつも謙虚な彼女はけっしてでしゃばらず、それでいて司会としての仕事をキチッとこなせる能力を持った人だ。

過去3年ほど、私にとってはもっとも出演回数の多いテレビ番組だけに、大下を応援したい気持ちは強い。特に昨年9月で橋本大二郎が司会を降りてからは大下が主役である。

昨日、私は話が終わると大下の方に数歩近づいて、右手を差しだした。

「頑張ってください」

彼女は本能的と思えるほど自然に、両手で私の右手を包み込んだ。握るか握らないかくらいの力である。だが優しさのこもった握手だった。

スッと嬉しさがこみ上げてきた。

スタジオを出たあと、男から女性に右手を差しだすことは非礼であるとの通念は、今日は不問にしてもらえるなという勝手な思いがあった。それほど彼女の両手握手は自然で、暖かさがあった。

大下の好感度がまたあがった。(敬称略)

Oshita5.11.17

(2017年5月撮影)

カテゴリー: Thought for the day,国際政治 ― 2019年2月4日
公正世界仮説

これほど愚かなことがあるだろうか。

トランプが米露間の中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄したことを受け、プーチンも条約の義務を守る必要はないとして2日、破棄をきめた。それにより今後6カ月以内に両国が考えを改めないかぎり、せっかくの条約が無になる。

条約の破棄によって両国がすぐに戦争をはじめるわけではないが、時代を逆行させたことに等しい。同条約が発効した1987年以前にもどることになる。

戦争が人間にとっていかに愚かであるかを両首脳は考え直さないといけない。戦争で犠牲になるのは一般の無辜な市民である。再び核兵器が増えていくということは、大げさな言い方をすれば絶望と恐怖をまねき、人間の夢を打ち砕くということに他ならない。

80年代、核兵器を減らそうとの意志でレーガンとゴルバチョフが条約を締結したはずである。世の中は少しずついい方向に向かっていくかに見えたし、いまでも世界は少しずつ前進していくと考える方も多い。これを「公正世界仮説」という。

世の中は公正にできているので、いずれ悪は滅び、最後は正義が勝つという仮説だ。アメリカの社会心理学者メルビン・ターナーがいい始めた学説で、多くの人が信じたがる仮説だが、実際はまったく逆の結果が生まれることもたびたびあり、人間が未来に向けて必ずしも賢明な選択をするとは限らないのが現実の世界である。

戦争ほど愚かなことはない。(敬称略)

カテゴリー: Thought for the day ― 2019年1月30日
ありがとうグーグル

日本外国特派員協会で仕事をしていると、顔見知りのドイツ人記者が「日本史に詳しい?」と訊いてきた。

「詳しくないなあ。世界史の方が知っていると思う」

「そうだった。あなたはアメリカ史が詳しい人だから・・・」

彼は残念そうな顔をする。いちおう何が知りたいのかを聴いてみた。

すると日本の元号(年号)がどうやって決まってきたのかを知りたいという。特に明治以前の元号の決め方が全くわからないと困り顔である。

明治以降は大正、昭和、平成と、天皇が即位するたびに元号が代わってきているので明確だが、それ以前は天皇に関係なく代わっている。誰が決めたのか、というのが彼の質問だった。

即答できなかった。日本人として恥ずかしいし、彼に申し訳ないのでネットで調べてみた。すぐに答えはわかった。

たとえば江戸時代末期、明治元年(1868年)にいたる14年間で元号は5回(安政、万延、文久、元治、慶応)も改元されていた。天皇の交代ではない。

元号を決めるのは天皇ではなく幕府であり、当時は地震や大火、さらに黒船来航といった世の中を揺さぶるような出来事があると元号を代えていたことが分かった。元号を代えることで「次は明るい時代を」という狙いがあったのだ。

ドイツ人記者から質問を受けた10分後に「わかった」と言って、説明すると困り顔は笑顔になった。

ありがとうグーグル!

カテゴリー: Thought for the day ― 2019年1月24日
マスコミはAIに取って代わられるのか

報道に携わっている者として、毎日世界中で起きているニュースを見聞きしている。

ネットニュースが進化しつづけているので、新聞や雑誌といった従来からある紙のニュースは大きく減速したように感じられる。止まりはしないが、スピードは格段に遅くなった印象が強い。

実は当ブログで2007年と12年にも同じ内容のことを書いている。紙メディアはまだ終わっていないが、下り坂を降り続けたままだ(http://ur0.work/PCpj)。

以前アメリカで発表された予想の中に、14年までにニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナルの3紙だけが生き残り、残りの新聞はオンラインに移行するというものがあった。これは先を読み過ぎていた。19年になったいま、いまだに多くの紙媒体が残っている。

それでも採算がとれなくて記者を解雇したり、コスト削減をせざるを得ない新聞社はあとを絶たず、経営は厳しい。日本でも同じである。

米国防大学の予想では2040年までに紙の新聞は終わるとしているが、これも予想に過ぎない。いつになってもプロの記者が取材し、ニュースとして正確に伝える作業はかかせないだろう。

ただAIが究極の進化を遂げた時、ドローンが上空から状況を把握し、記者ロボットがインタビューをして人間が書く以上の優れた記事を提供できるかもしれない、、、があくまで仮説であり、いまの私にはわからない。