いま読んでいる本

最近、コメンテーターとしてテレビ番組によく出演している成田悠輔氏(38)。本屋に彼の著書が平積みにされていたので手に取った。

「22世紀の民主主義:選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」(SB新書)。

読み進めていくと、テレビで見聞きする切り込んだコメントと同じように、斬新で鋭い視点が随所にみられる。彼のいいところは「迷いなく言い切る」ところで、反論がくるのを重々承知していながら、何も恐れるものはないと言わんばかりに持論を展開している。

「人類は世の初めから気づいていた。人の能力や運や資源がおぞましく不平等なこと。そして厄介なことに、技術や知識や事業の革新局面においてこそ不平等が大活躍すること」

「民主主義的な国であればあるほど民主主義への脅威が高まっている。この傾向はアメリカだけでなく民主国家全般に見られる。というか、アメリカは外れ値でもなんでもない平均的事例で、ドイツなど他の民主国家でこそより極端な民主主義の劣化傾向が見られる」

「米英の有権者を調べた研究によれば、有権者は高学歴になればなるほど党派的で独善的になり、議論と反省によって意見を修正していく能力を失っていく傾向がある」

読者を煽りすぎかなという印象を抱くほど明快に発言していて、読んでいて痛快ですらある。たぶん執筆時、編集者が「過激に言い切ってください」といったことを成田氏に告げていたとも思えるが、久しぶりに「面白い」と言える本だった。

豪快さに脱帽

連日ウクライナでの戦闘のニュースを見聞きするたびに、少しばかり塞いだ気分になる。そうした時は楽しいストーリーや心が躍る話を求めたくなるが、今日、ある場所で驚きのシーンにであった。

私は中華料理が好きで、よくランチに中華のお店にいく。いわゆる「名店」も好きだが、「町中華」といった店も好きで、今日は一人で庶民的な店に入り、五目かた焼きそばを注文した。

出てくるのを待っている時、OL風の女性が私の左側のテーブルにきた。ウェイトレスさんが水を運んできた時、その女性は「生を!」と言ったのだ。まだ商品を注文する前である。私は心の中で「ホホッ、イイねえ」と呟いていた。

女性のビールが運ばれてくるのとほぼ同時に、私のかた焼きそばが来た。私はお酢をかけて、かた焼きそばの麺が少しばかりシンナリするのを待っていた。ウェイトレスさんが女性の注文をとりにきた時、その女性は「もう一杯!」と言ったのだ。明確な滑舌だった。

オーダーする前に一杯目を飲み干していたことに驚き、チラリと彼女をみた。20代と思われる女性は普通体型で、長髪のなかに女性の艶やかさが隠されたような、どことなく神秘的なムードを漂わせた人だった。そして「中華丼の大盛り!」と言ったのだ。「オオッ、イイねえ」である。

ランチにビールを注文する人は少なくないが、2杯である。しかも驚いたことに、中華丼が運ばれてきたときに、女性は「おかわり!」と言って3杯目を注文したのである。その豪快さに感服し、私は握手をしたい気分だったが、必死にこらえてかた焼きそばに集中した。4杯目にいくのかどうか見守っていたが、結局3杯と中華丼の大盛りでその日は終わったようである。

男でもここまで豪快な飲みっぷり、食べっぷりの人にはなかなか出会えないので、なんとなく得した気分になった。そして店をでる時、私の顔には笑顔がついていた。

最近不満に思うこと

最近、テレビを観ていてイライラすることがある。それはテレビ画面の上下に文字テロップがやたらと増えたことにある。

「何をいまさら」と思われるかもしれない。この傾向は過去10年くらいは続いているのだが、個人的には最近になって以前よりも気になりだした。テレビ局が出演者の発言や状況の説明をするためにテロップを多用することはわかる。ただ、多い時は上下だけでなく画面の左右にも文字がならび、さらに出演者の顔がワイプで抜かれていたりするため、本来の映像の半分くらいしか見えないことがある。特にバラエティー番組では顕著だ。

全体像をスッキリと眺めることが難しくなってきており、「昔に戻してほしい」と思うことしきりである。

さらなる不満はテロップの色が赤、青、黄といった複数のカラーにしてあるため、目障りである。テレビの映像をもっとシンプルに、美しく、すっきりと観たいと思っている私にしてみると、不愉快である。「美的センスの欠落」と言ってもいいかと思うが、局側にしてみると「目立てばいい」という思い入れが勝るようで「アーアアア」という声がでてしまいそうにいなる。

ただテロップが使われる一つの真っ当な理由として、耳の不自由な人がテレビを見る時にわかりやすくなる点が挙げられる。それは理解できるのだが、画面の「ゴチャゴチャ感」「ガチャガチャ感」をなんとかしてほしいと思っているのは私一人だけではないだろうと思っている。

新型コロナの心もよう:新型コロナ(32)

新型コロナウイルスが世界的に蔓延しはじめてからほぼ1年がたつ。多くのかたは目に見えないところでコロナの脅威を感じ、コロナに威圧されることで鬱のモードに入っているのではないかと思う。うつ病という病名がつくまでにいたらなくとも、この社会状況では心を高揚感で満たすことの方が難しいのではないか。

そういう私も例外ではなく、青空と同化してしまうほど清々しい心持ちになる日はこのところほとんどない。友人や知人と会えば、相変わらず笑い声が溢れる会話になるが、一人になれば心の底には空虚感が占拠するような日も多い。

それは私の年代だと男性の更年期と重なっていることも原因で、疲労感や気力の衰えなどをおぼえるようになってきている。病院にはいっていないが、「男性更年期障害」とネットで検索すると、いくつも目を覆いたくなるような症状が並んでいる。

男性の更年期はテストストロン(男性ホルモン)の低下により、前述した疲労感や気力の衰えの他、性欲低下、不眠、肩こり、集中力の低下、イライラ、発汗、関節の痛みといった症状がでる。私は関節の痛みこそないが、それ以外は深刻ではないけれどもすべて当てはまっているようにも思う。

それが歳を重ねるということであり、老いるということなのはわかるが、「チクショー」と叫びたくなるのも事実である。

原稿が進まない!

広島のホテルで原稿を書いていたが、うまく進まない。

ふと前を向くと、鏡の中に自分がいた。浮かない顔をしている。老眼鏡がさらに表情を暗くしている。

たまには暗澹たる顔も写真に撮っておこう。

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