基地閉鎖のドミノ

アメリカ軍普天間基地の移設先がいまだに決まらない。

鳩山はあちらを立て、こちらも立てるといった姿勢だから苦境に陥っている。与党内からいくつかの選択肢があがっても、首相は相変わらず安全保障戦略を語ろうとしない。

昨年のブログ(「方針」という安全保障 )でも少し述べたが、もっとも大切なことを国民の前で語らないので、単なる移設先のオプションが机上論として空回りしている。

「基地は何のためにあるのか」が鳩山にはわかっていないとしか思えない。その問いこそが普天間問題の核心である。自分で名答を口にだせた時点で、この問題は終わりのはずである。

極論するならば、鳩山が普天間の海兵隊を本当に日本の安全保障に必須であると考えるならば、首相判断で移設して政治力をつかって収拾をはかれる。その時、新しい基地の周辺住民や環境には最大限の配慮、いや優遇措置を施してもいい。むしろ、基地周辺に住みたいと願う人が増えるくらいの優遇策をほどこす。

なぜ基地が必要なのかをテレビの前で、国民を納得させられてこそ国のトップにたつ政治家といえる。だから鳩山は、現在の米軍(海兵隊)の必要性を説かなければいけない。もし日米同盟のあり方や、朝鮮半島の有事は依然としてあり得るという内容を連日熱く語っていたら、移転先の選択などは最重要なテーマではなくなってくる。

ただ、鳩山の本音が「できれば米軍基地は全部撤去したい」ということは私にもわかる。

それでもいいだろう。半年でそれを実現することはできないが、中期的に自衛隊の再配備と増強を念頭にして、基地撤去の方向で動くことは可能だ。アメリカと新たな軋轢が生まれるが、できない話ではない。

1991年、フィリピンはスービック、クラーク両基地を必要なしと判断して撤去させたし、昨年は中米のエクアドルがアメリカ軍マンタ基地を撤去させている。

いまペンタゴンが恐れているのが、世界各地でおきる「基地閉鎖のドミノ」という新しい波である。いずれ日本にもそうした状況が訪れることを憂慮しているはずである。

しかも、アメリカ政府は今でも鳩山の考え方を理解できずにいるようだ。反米でも保守でもない元自民党にいた政治家の日米関係論は不安定である。基地反対を大々的に掲げてもいないし、迅速に問題処理をするわけでもない。

「ないない」づくしの政治家は普天間問題でどういう答えを出すのだろうか。(敬称略)

失敗からなにを学ぶのか

小沢一郎が『日本改造計画』を出版したのは1993年のことである。

翌94年、英語版『Blueprint for a New Japan』がでている。当時、私はワシントンにいたので、この英語版を読んだ。

         

                              

アメリカだけに安全保障問題を頼らず、国際的な役割を積極的に担っていくことを軸に、社会党(当時)との連携はできるだけとらず、小選挙区を中心にした多数決ですすめていく政治をめざした。それは細川政権で象徴されたように、自民党からの離脱を意味し、その姿勢は今も変わっていない。

小沢が当時から変わっていないことがまだある。カネに依拠する政治スタイルである。

昨年3月、西松建設疑惑の時にブログで書いたとおり(参照:転がり落ちる政)、不正なカネの受領がないかぎり、検察は秘書を逮捕しない。彼のボスであった田中角栄も金丸信も不正なカネを受けとった。

検察が厳格にコトを進めると、自民党の多くの議員は同じ運命をたどるだろうが、小沢のカネへの執着は二人のボスと何らかわるところがない。

金丸の時を思い出していただきたい。92年、東京佐川急便から5億円のヤミ献金があった。東京地検は金丸に対し、再三にわたって事情聴取を要請したが、彼は応じなかった。今と酷似する。

世間の風当たりはいまと同じように強く、金丸はいちおう罪を認めたかたちをとるために上申書を提出した。

そして地検は金丸を略式起訴にする。これはほとんど無罪放免にちかい処分である。実際は東京簡易裁判所から罰金20万円の略式命令をうけただけである。5億円で20万円である。

小沢と地検の攻防が金丸と同じ軌跡をたどらないことを祈るだけである。

アメリカで同じような罪で起訴されると、懲罰的な量刑もくわわって実刑100年ということがないわけではない。もちろんこれは死ぬまで刑務所からだなさいという司法の意志表示である。

田中と金丸の行状をつぶさにみてきた小沢はいったい何を学んできたのだろうか。(敬称略)

民主党のビッグウィン

「色がないなあ」

ワシントンにいる友人は、民主党が308議席を獲得した夜、アメリカのテレビニュースで鳩山や小沢が開票センターの檀上にいる様子を観て言った。

「ダークスーツを着ているのはわかるが、ネクタイやシャツに色がない。しかも鳩山は大勝したにもかかわらず笑顔がない。アメリカとは文化が違うのはわかるが、あの表情では敗者のリーダーと思われてもしかたがない」

「勝って兜の緒を締めよ」ということわざはアメリカにもあるが、馴染まぬ文化である。アメリカ人にはあの無表情が奇異にうつったようだ。日本人であれば、勝っても浮かれないように自重しているのだとの判断がつくので特に地味であるとは思わないだろう。

民主党が300超の議席を獲得することは前もって予測できたことなので、ここでは触れない。ただ、いくつかの選挙区を取材し、あらためて選挙にカネがかかっていないことを痛感した。自転車で遊説する候補も多く、ド派手なパフォーマンスと潤沢な選挙資金も元に遊説する候補がほとんどいなかった。

地味である方が清貧というイメージを保てるのと、無駄な資金はかけない方が時流に合っているということなのだろう。しかし、それは一般有権者が候補に献金していないことを示している。候補が普通の人たちから政治献金を受け取るシステムを構築していないことをも意味する。

政治への参加がある意味で希薄なのである。一票を投じることは立派な政治参加だが、それ以上の積極的な関与はほとんどみられない。たとえば、普通の会社員が利害関係のない特定候補の選挙活動を手伝うという行為はマレである。個人的な知り合いや縁者であれば別だが、それ以上の政治活動は「会社や役所にばれるとまずい」という思いや、隣近所に見られたくないという感情が入り乱れたりする。

昨年のアメリカ大統領選でオバマはボランティアを200万人も動員した。民主党は反自民という流れで票をあつめはしたが、本当に信頼される与党になるには時間がかかる。日本経済を本当に再建していけるかどうかの疑問は今後も残されたままだ。

けれども、のらりくらりの麻生内閣が終わって自民党が野党になり、新しい風が永田町に吹くことは大いに歓迎すべきことである。(敬称略)  

        

思わず笑った政見放送

30日の総選挙を前に、NHKで繰り返し政見放送を流している。

どうやったらこれほど退屈な映像を作れるのだろうか。あまりに前時代的な構成と見せ方に、逆に見入ってしまう。

「民主党」政見放送    「自民党」政見放送

私は82年に渡米し、07年に帰国するまで政見放送を観る機会がなかったので、「ウーン。これはスゴイね」とうなってしまった。

日本の政見放送は故青島幸男が68年、佐藤内閣にテレビを使って選挙運動をすべきと提言したことに始まっているが、あれから41年である。永田町と霞が関だけが昭和でフリーズしたかのようである。

またアメリカとの比較で申し訳ないが、大統領選で初めてテレビCMが使われたのは52年で、アイゼンハワーが「アイゼンハワーがすべての問題に答えます!」というキャッチフレーズを流した。64年にはすでにネガティブキャンペーン(批難広告)が登場している。 

ワシントンにある連邦選挙管理委員会になんども取材しているが、「テレビCMについては本数も内容も予算もまったく自由」と答える。あまりにも縛りがなさすぎて、逆にカネがかかりすぎる欠点を抱えている。

一方、日本では2009年になっても、いまだに手錠をかけられ、さらに檻に入れられたような政治CMしか放映できずにいる。もちろん日本も自由主義国家であり、自由にCMを流そうと思えばできないことはない。

しかし公職選挙法第13章第150条で政見放送をしばりにしばっている。これは体にコードを巻きつけ、手足の動きを止め、「息だけしていい」といっているような法律である。これだけ強い規制をかけたのには、政治家と官僚にそれなりの理由があったからだが、時はすでに21世紀である。

アメリカの先を行けとはいわないが、「来たる」民主党政権は同法の改正もすぐに手をつけるべきである。テレビCMだけでなく、インターネットを使っての選挙戦ができるようにするのも当然である。それでないと、いつまでも政治は愚鈍さを残し、永田町と霞が関だけが時代に取り残されていく。

解き放つ勇気を!(敬称略)

民主党への風

総選挙が迫っている。

永田町の人間でも一般有権者でも今度は民主党が、との考えは共通している。

しかし、15年ほど日本の選挙を眺めている知人のイギリス人記者は、「俺は信じないね。いままで民主党には何度だまされてきたか。結果がでるまで民主党が勝つと思わない」と猜疑心が強い。

4日、外国特派員協会にやってきた政治評論家の伊藤惇夫も、「日本の選挙は『風』という不思議なものに影響されやすい。投票日の3,4日前にならないとわからない。民主党はこれまであと一歩という時にミスをおかしてきた」と追い風が吹いているはずの民主党に疑問符をつける。

だがジャーナリストの上杉隆は「いま全国300の小選挙区を歩いている。どこにいっても自民党へ懲罰的な『風』が吹いている。05年の郵政選挙とまったく逆のことが起きているので、民主党が勝つのでは」と、民主党が勝つ可能性が高いという。7月の都議選の結果が如実に物語るように、自民党に疑問を抱いた有権者が民主党候補に一票を投じると考えるのは妥当である。

都議選の期間中、候補を何人か取材した。実家のある中野区では、民主党から新人の西沢という30歳の青年が出馬していた。今春まで議員秘書をしていた快活な候補である。準備は十分でなかったし、有権者のほとんどは彼について十分な知識を持ちあわせていなかったと思う。しかし、トップ当選する。彼に限ったことではない。流れは完全に民主党の水域に入っている。

この現象は日本だけの話ではない。オバマ政権が誕生した理由の一つは、アメリカ国民が反ブッシュの勢いに乗ったからという解釈がある。オバマ本人への圧倒的な人気も理由の一つだが、共和党8年で大きく右に振れた政治の振り子が必然的に左に振れてオバマ支持が広がったという見方は的をえている。

麻生の支持率はいま20%に満たない。今月30日、日本政治の振り子も右から左に振れる可能性が高い。ただ政権交代によって国内外の問題が解決するわけではない。オバマ政権が金融不況という嵐の中の船出だったように、日本の民主党政権にも荒れた海が待ち受けている。 

たとえば民主党マニフェストには、約100人の国会議員を官庁に配置して官僚主導の政治を改めるとあるが、効力を発揮するかは疑問だ。前出の伊藤がきっぱりと言う。

「政府に送り込まれる議員は若い議員が多い。たぶん1週間で官僚に取り込まれてしまうでしょう」

 何ごとも勉強ではあるが、時間的猶予は長くないのである。(敬称略)