タリバン政権誕生:予想しなくてはいけなかった

アフガニスタンに誕生したタリバン政権をめぐり、米バイデン大統領の米軍撤退の決断が批判されている。バイデン氏は昨年の選挙中から、政権一期目の任期中に撤退させると述べていたので、それを実行させただけの話だが、ここまで早くタリバンが勢いを盛り返すとは予想していなかった。

アフガン政権は積み木の山が崩れるように、いとも簡単に崩壊してしまったことが想定外だった。ガニ大統領はそそくさと国外に脱出し、タリバンに抵抗できるだけの力など微塵もなかった。春の段階では、タリバンがアフガン全体を支配する可能性は低いとみられていたが、アフガン政権はアメリカが思っているほど粘り強くもなかったし、命をかけてタリバンと闘う姿勢もなかった。

バイデン氏はアフガンにはかなり前から愛想を尽かしていて、できるだけ早く手を切りたかったようだ。それはオバマ政権時代、副大統領としてアフガンとかかわり、苦い経験を積んでいたことで、もう同国には「夢も希望」も抱いていなかったかに見える。だから今年9月を米軍撤収の時期にしていたのだ。9月というのは2001年に起きた同時多発テロから20周年目にあたる月である。

こうした単なる「ヒト区切り」が実際の国際情勢上、最良のタイミングにあたるわけもなく、バイデン氏は時期を誤ったと解釈されてもいたしかたない。今冬まで待てば、山岳地帯の多いアフガンでは思うようにタリバンは活動できなかったとの見方もある。

結果論だが、バイデン氏はこれまでアメリカがアフガンに費やしてきた6.4兆ドル(約700兆円)を無駄にし、対テロ戦で戦死した米兵約7000人の命を軽んじ、さらにアフガンに残してきた850億ドル(約9兆3000億円)相当の武器や機材もタリバンに明け渡すことになった。そしてNATOの主要拠点であるバグラム空軍基地さえもタリバンに譲ってしまった。

「こうなることは予想できなかった」ではなく、「予想しなくてはいかなった」ことであり、バイデン政権第1期の残り3年以上の任期で課せられた重い重い宿題になった。

バイデンが記者会見で伝えたかったこと

バイデン氏がホワイトハウス入りしてから初めての記者会見を米時間25日に開いた。日本時間では夜中だったので、ネットで会見を観た。

コロナ問題から移民問題、対中政策までテーマは多岐に渡ったが、78歳のバイデン氏に対する国民の期待がクリントン氏やオバマ氏に比べると過大ではないことから、低空からスタートしている印象がある。

たとえばコロナワクチンの接種回数は、当初は就任100日で1億回という目標をかかげたが、実際はほぼ半分の時間で実現させてしまった。昨日の会見では、100日までに2億回という数字をだして、順調にワクチン接種を進めているとした。最初から2億回という数字を出さなかったことで、達成感を強調しさえした。

1973年から上院議員を務め、オバマ政権での副大統領を含めると44年間もワシントンの政界にいただけに、法案を通過させるテクニック、政策の打ち出し方、共和党議員との折衝法、メディアとのかけひき、人が思って以上に剛強で策略家であるのがバイデン氏の本性だろう。

中国に対しては、厳しい態度をみせた。

「彼ら(中国)は世界でナンバーワンの国なるという野望を抱いているだろう。世界で最も富んだ国になり、最強国になるという最終的な目標を持っているはずだ。だが私の政権下でそれは起きない。というのも米国はいま以上に成長、拡張するからだ」

習近平主席はバイデン氏の当選後、祝福の電話をしてきたという。2時間ほど話をして、中国との競争は避けられないが、全面対立は両者が求めていないことを確認しあったという。バイデン氏に期待できるのは、こうしたバランス感覚である。少なくともトランプ氏よりは安心してみていられる大統領のはずである。

バイデン、思いを語る

「この人は本当に真っ当な人物なのだろう」

今週16日に行われたバイデン大統領と市民との対話集会を、ユーチューブで観たあとの率直な感想である。大統領に向かって「真っ当な人物」と述べることは失礼かもしれないが、距離を置いてみてもそうした思いがあった。

CNNが主催した対話集会は、いまのバイデン氏のありのままをさらすのに十分な効果と価値があった。同氏は約75分の集会で、まったくペーパーに頼らず、数十人の市民から投げかけられる質問に壇上で実直に答えていた。

Photo from CNN

もちろん質問内容は事前にホワイトハウス側に伝えらえていただろうし、その答えも用意されていたはずである。だが78歳の大統領はほとんど淀みなく、何も見ずに受け答えをした。むしろ想定問答集を覚えてその通りに話すことの方が難しかったかもしれない。いまの自分の思いをその場で表現する方が、テレビの視聴者の胸に刺さることをよく理解していたと思われる。

内容はコロナのことから教育、最低時給賃金、トランプ前政権、移民の問題まで多岐におよんだ。政権誕生からまだ1カ月だが、すでに大統領を数年やってきたかのような沈着で泰然とした受け答えで、誠実さがにじみ出ていた。

「私はホワイトハウスで寝起きしたいから大統領になったのではありません。この国の将来のためになる決断をするためになったのです。大統領として皆さんに仕えられることは本当に名誉なことです」

少なくともバイデン氏は心をこめてそう述べていた。1973年から連邦上院議員を務めてきた政治家である。いま自分が何をすべきかを熟知しているはずである。そしていま国家が必要としているものは前向きな姿勢であることを示した。それは次の言葉に表れていた。

「いま国は分断されているといいます。でも明確に分断されているわけではない。外にでて、いろいろな人と話をしてみてください。両極にいる人たちでさえ、話し合いができる余地を残しています。はっきりと分断されているわけではないので、私はまとめることができると思っています」

久しぶりに期待のできるリーダーが登場したと言っていいかもしれない。

弾劾裁判はトランプの思い通りの流れ

トランプがすぐにも無罪放免になる。

2月5日に連邦上院で、「トランプは罷免にあたいしない」という評決がくだされるはずだ。本来は4日に行われるトランプの一般教書演説の前に弾劾裁判を終わらせたい意向だったが、数日ずれてしまった。それでもトランプの思い通りにコトは進行しているようだ。

22日の当欄で記したように(トランプを本当に裁けるのか)、共和党議員の中にもトランプの行為が贈賄罪と司法妨害罪にあたると解釈し、罷免されるべきであると考えている政治家はいるだろうと思う。

しかしワシントンの政局はいま「完全」という言葉をつかっていいほど2極化しており、トランプが無罪放免になるという流れができあがっている。

それにしてもトランプが弁護チームにアラン・ダーショウィッツを向かい入れ、同氏もトンラプの肩をもった時点で勝負あったというのが40年近くワシントンの政治を見てきた私の感想である。

なにしろハーバード大学教授のダーショウィッツは、90年代半ばにO・J・シンプソン事件でシンプソンの無罪を勝ち取ったドリームチームの一員で、「合衆国憲法を語らせたら誰もかなわない」と思えるほど弁がたつ。今回もダーショウィッツのトランプ擁護の論弁を聴いたが、殺人罪に問われたシンプソンを無罪にした時を彷彿とさせた。

当時、私はワシントンで事件の記事を書いていたが、ダーショウィッツをはじめ、ロバート・シャピロ、ジョニー・コクランという腕利き弁護士は、黒いものを白色にできるくらいの弁護力があり畏れおののいたのを覚えている。

今回の上院でのダーショウィッツの論弁はあの時の光景を想起させた。犯罪どころか、トランプは当たり前のことをしただけと思われるほどの論法なのだ。アメリカの政治の限界をみた思いである。(敬称略)

トランプを本当に裁けるのか

米連邦上院でトランプの弾劾裁判が始まった。私が述べるまでもなく、トランプが罷免されることはないので、実質的には上院の公判は「ほとんどあってないようなもの」である。

ルールとして67人以上の上院議員がトランプ罷免に手を挙げないかぎり、トランプをホワイトハウスから追い出すことはできない。当欄でも何度も記してきたことだ。

ここで改めて考えさせられるのは、最高裁判事がきて行われる裁判であっても、モノゴトの判断には個人的な願意や心願が優先されるという事実である。

被告(トランプ)がやったことは犯罪であると判断する民主党議員と、犯罪にはあたらないとする共和党議員の論戦は、法律的な客観的判断を下す以前に、すでに政治色によって決着がついてしまっている。その色つきのフレームから外れない限り、数の論理で決まってしまう。

調べると、上院議員(100人)のうち47人が法律家(判事、検察官、弁護士)としての経験があり、多くの議員は保守やリベラルといった政治色を抜きにして、かつては裁判に携わった経験があるはずだ。トランプの容疑を法律家として真に熟慮したとき、100人のうちいったい何人が弾劾にあたると判断するのだろうか。

政治的利害を抜きにして訊いてみたい。(敬称略)