堀田佳男 Profile
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メタ情報
カテゴリー: Thought for the day,国際事情 ― 2016年8月21日
ブルブルブルの正体

アメリカから日本にもどってそろそろ10年が経とうとしている。いまでも私が書く記事の8割以上が海外モノで、多くがアメリカがらみである。

いつも世界のニュースに目を這わせている。突発的なニュースが起きた時は、アメリカの報道機関2社から私のスマホに「号外メール」が入るようにしてある。ブルブルブルと1回だけ震える。

リオ五輪が開催されてから、ブルブルブルの回数が増えている。というのも、アメリカ選手が金メダルを獲ったり、世界記録が生まれた時に震えるからである。

ここまで(21日午前10時半)、アメリカは41個の金メダルを手にしているので41回、そして世界新記録が生まれた時の数回、ブルブルブルがきた。

「わかったから、もう止めて」というのが正直な感想である。

報道は近年、純粋な客観報道などありえないという風潮がつよい。偏っていて当たり前との考え方だ。アメリカのテレビでいえばフォックスは保守で、MSNBCはリベラル。政治的スタンスがわかっているから、視聴者も自分好みの局を選ぶ。

ただスポーツ報道については、どの国の報道機関も自国選手を応援する。当たり前と言えば当たり前で、自国選手を無視して他国選手にエールを送ったりしたら苦情の声が絶えないだろう。

この点で、スポーツだけでなく、対外的なことがからむと自国を擁護する報道姿勢がどの国でも鮮明である。だから最初からバイアスがかかっていない客観報道というものは極めて少ない。

リオ五輪もいよいよ閉幕。これでブルブルブルも少なくなる。

カテゴリー: Thought for the day,国際事情 ― 2016年8月8日
人間の可能性というもの

リオ五輪を観ていて、ふと思いあたった。以前、当欄で「オリンピックと限界 」というタイトルのブログを書いた。4年前のロンドン五輪の時である。

「人間が人間である以上、各種目で記録の限界に到達する時がいずれはきてしまう」という内容を述べた。だが、限界をつくるのは人間であり、限界という枠はもしかしたら自己規定によって生み出されるのかもしれないとの思いにかられた。

「いずれは」との考え方は常識的にはしごく当たり前のことだが、記録というものに限界を設定すること自体、世界の第一線で活躍する選手たちに失礼なことかもしれない。

リオ五輪の競泳を見る限り、限界といった言葉は無縁のようでさえあるからだ。

ハンガリーのカティンカ・ホッスーは女子400メートル個人メドレーで世界新を2秒以上も縮めたし、同じく女子競泳400メートル自由形では、アメリカのケイティ・レデッキ―がやはり2秒以上も世界新を短縮している。

たとえば、10年前に400メートルを競ったことのあるスイマーであれば、この記録がほとんど想像できないものであるかと思う。

日本人選手による世界新はなかなか出ないが、人間の可能性というものは計り知れないということを改めて感じるのだ。

これは単に理想論ということではない。いつも前を向いて肯定的に生きる、といった自己啓発的な発想からでもない。

人間には「無極の可能性」というものがあるように思えてならない。

カテゴリー: 国際事情 ― 2016年6月25日
イギリスのEU離脱の意味

universityofleeds

イギリスのEU離脱の意味をどう捉えたらいいのだろうか。

ヒトコトで言うならば「政治と経済のせめぎ合いで政治が勝った」ということだろうと思う。

どういうことかというと、過去20年以上、世界は経済分野では共通のルールや価値観を共有する動きを加速させてきたが、政治分野では国家の自治権や独立する意識の高まりによってむしろ分裂する動きが強く、今回は政治に軍配があがったということである。

世界史を紐解いても、国家は分裂・独立していく方向のベクトルに力をもたせてきた。政治判断というより、民族自決的な意味合いと、精神的な自立によって国家数は増え続けている。ドイツの統合は例外である。旧ソ連の瓦解による地域国家の誕生やインドネシアから独立した東ティモールのように、今後は増え続けて国家数は200を優に超えてくるだろう。

だが、経済は国家間の枠を越えて、統合・融合の流れが加速している。EUはまさにそうだった。大きな経済圏をつくることで経済活動がより活発化され、物流や消費が増えて経済成長を促進してきた。

20年ほど前にNAFTAと言われる北米自由貿易協定が結ばれたのも同じ理由だ。カナダ、米国、メキシコの3国が貿易面では基本的に関税をなくして物品の行き来を自由にした。TPPも同様で、それによって経済的な利点が生み出される。もちろん弊害もある。

経済という枠組みでは、世界は1つになろうとしてきた。それとは逆に、政治という人の営みにおいて、世界は個別化する流れに乗っているのだ。

政治・経済という2分野は、ベクトルの向きでは逆であることが多い。どこかに歪みが生じやすい。

そうした観点では、イギリスのEU離脱は自立性の勝利である。経済的にはマイナス点が多いが、それが国民の選択だった。将来、TPPが発効した後に日本が抜ける場合、選択肢は国民にあることを教えてもいる。

カテゴリー: 国際事情 ― 2016年4月24日
マンハッタンでの整列

NYcity4.21.16

ニューヨーク市マンハッタン56丁目の5番街と6番街に勢ぞろいしたレンタル自転車。

2013年にスタートした自転車のシェアサービスで、当初は6000台からスタート。来年には1万2000台に増える予定で、駐輪場も700カ所。車体にある「シティ・バイク」のシティというのは金融機関「シティグループ」のことで、4100万ドル(約45億円)を市に寄付して始まった。

ニューヨーカーからの評判はまちまちで、年間メンバーシップ料金の150ドルが「高い」という人もいれば、「観光者は使いづらいと思う」という声もある。

それでもニューヨークの街に溶け込みだしていることは間違いない。

カテゴリー: Thought for the day,国際事情 ― 2016年4月12日
オバマが本当にやるべきこと

アメリカの国務長官ジョン・ケリーが11日、広島の平和記念公園を訪れた。広島でG7(先進7カ国)外相会議があったためで、他の外相と共に慰霊碑への献花を行ったが、広島で会議がなければ足を運んでいなかっただろう。

謝罪の言葉はなかった。戦後71年間、アメリカ政府が取り続けている原爆投下へのスタンスである。ケリーが個人的に謝罪したいと思っていたかはわからない。私人として「すみませんでした」との気持ちがあったとしても、公人としては政府の立場を守らざるをない。

オバマは5月に伊勢志摩で開かれるサミットのあと、広島に立ち寄って核兵器廃絶宣言をするとの情報もある。アメリカの大統領はいまだに広島にも長崎にも訪問していないのでニュースにはなるが、たとえ謝罪したとしても、私は「それで?」という思いでしかない。

実はオバマにはかなり期待していた。2009年1月に大統領に就任してから、本当に「Yes, we can」を形にできる大統領かもしれないと考えていた。しかも核兵器問題については、同年4月のプラハ演説で核兵器廃絶をはっきりと宣言し、それが評価されて同年ノーベル平和賞を受賞している。

けれどもその後の7年間、オバマが積極的に核兵器廃絶に動いたという印象はない。むしろ世界は北朝鮮をはじめとして、核拡散への方向に進みつつある。

オバマはアメリカの大統領である。言葉だけで終わらせずに、目に見えるかたちで核兵器廃絶を前に進めることができたはずだ。少なくとも、多方面で尽力しなくてはいけない。

政治はときに「言葉の格闘技」と言われるが、究極的には何がでたのか、何を成就させたのかが問われないといけない。そういう意味で、政治家は格闘技の試合の最後に「確かな勝利」をものにできないといけない。

5月に広島に数時間だけたち寄り、プラハ演説に似た雄弁な演説をするだけであれば、私は来なくてもいいと思う。謝罪よりも「確かな勝利」を世界中に示さなくてはいけない。それがアメリカ大統領の役割である。

ノーベル平和賞が泣いている。(敬称略)

Obama4.13.16

By the White House