彼の国へ

「今度、北朝鮮に行くんです」

こう口にすると、ほぼ全員が「大丈夫ですか」「危なくないですか」と返してきた。私も相手の立場にいたら、たぶん同じ反応をしていただろう。

平壌に着いて数日たつと、いかに北朝鮮の内情が日本で歪められて報道されていたかがわかった。北朝鮮政府が繰りだすプロパガンダもさることながら、アメリカや韓国、日本による過剰報道によって北朝鮮への恐怖心と警戒心が必要以上に増長されていたことを知った。やはり現地に赴かないとわからないことがある。

もちろん拉致問題は解決していない。軍事的挑発行動もある。しかし、それだから「北朝鮮は危険」という図式はあまりにも単純である。外務省のホームページにも北朝鮮は「渡航を自粛してください」とある。

ただホームページの自粛理由は、「北朝鮮のミサイル開発と併せ、(核実験の実施で)我が国の安全保障に対する脅威が倍加した」、そして「北朝鮮が拉致問題に対しても何ら誠意ある対応を見せていない」、「国連安保理において国際社会全体として厳しい対応をとる」という3点につきる。

それは国交も結んでいない国であり、制裁としての意味合いからも行くべきではないという判断による。けれども治安についての記述はない。むしろラオスのビエンチャン周辺には「渡航の是非を検討してくさだい」という勧告がでており、置き引きや侵入盗、ひったくりが多発しているとある。

町を歩くという意味では、後者の方が警戒を要する。事実、平壌においても地方の農村においても、人々の対応は日本となんら変わらなかった。襲われるという可能性は極めて低い。

むしろ、アフリカや南米の途上国に赴くと、車を降りたとたんに物乞いをする子供たちが集まることがあり、振り返ると5人くらいの子供を引き連れて歩いている。しかも衣服が汚れ、裸足であったりする。

だが北朝鮮ではそれがない。北東部や中朝国境へは足を向けていないが、平壌市内はもちろん、私が訪れたいくつもの農村でもそれがない。現地で見聞きした限り、飢えていないのだ。

                          

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「10年ほど前は確かに厳しかったが、いま飢餓で苦しむ人はいない」

現地の人間はこう言った。

だが、帰国して北朝鮮のニュースを読むと、最高人民会議の議長である崔泰福(チュ・テボク)がイギリスに食糧支援を要請したとある。他国への食糧要請はカモフラージュなのかと思えるほどだ。

一つだけ確実に言えることは、金正日をトップにした労働党と軍部のエリートたちにあの国の民は翻弄され続けているということだ。一般国民はある意味で大きな犠牲者であるが、それに気づいていない。

それどころが、「将軍様マンセー(万歳)」のかけ声が今日も響いているのである。(敬称略)

北朝鮮のクーデター

脱北者の一人である金光鎮が3日、東京で記者会見を開いた。北朝鮮の元政府高官として、内部事情を知る人物である。いまだに顔写真は撮らせない。

「金正日が死んだ時、軍事クーデターが起こる可能性があります」

  

                   

昨年9月、金正日の三男、金正恩が実質的な後継者に選ばれたが、28歳の三男が朝鮮人民軍と労働党を全面的に掌握できるまでにはなおも長い年月が必要になる。軍の上層部が若い三男の言うことを聞くとは思えないというのが、金光鎮の見立てである。

「金正日でさえ両方を完全に掌握するまでに、ほぼ20年の歳月がかかっています」

専門家の間では北朝鮮が内部崩壊した時のシナリオがいくつも描かれている。もっともあり得る時期は、金正日が死亡した時だ。彼が長命であれば、三男への移行はよりスムーズかもしれないが、「近い将来」となると、三男では北朝鮮はまとまらない。

実は金正恩がお披露目された昨年9月、党の規約27条が改正されている。国防委員会の力が大幅に弱まり、労働党中央軍事委員会が北朝鮮の最高機関になった。その時、三男は軍事委員会の副委員長に就いた。

これは金正日が死亡したとき、三男が委員長としてトップに立つことを意味する。しかし、名目上のリーダーと実質的な権力の掌握とは別である。

金光鎮によれば、「三男は故意に風貌を祖父、金日成に似せることで威厳を出そうとしている」らしいが、真の政治力が28歳の若者にあるわけがない。

「今後は北朝鮮からの挑発行為がより頻繁に起こるはずです。そのサイクルは今後、ますます短くなるでしょう」

近隣諸国で唯一、北朝鮮に影響力のある中国も経済協力こそ行っているが、政治的な助言はほとんど効力を持たない。金正日は聴く耳をもたないのだ。

世界の動きから自らを隔離している北朝鮮。同時に、自らを追い詰めているようにしか思えない金体制はいつまで持続するのだろうか。(敬称略)