<ヒント:ヨーロッパ>
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<答:ギリシャ。首都アテネから北西約120キロにあるデルフィの野外劇場。デルフィは古代ギリシャの聖地。>
インドと言えばやはりタージマハル、なのではないかと思う。今回のインド行の目的の1つもこの建築物を眼にすることだった。
上の写真は4月24日午前6時に、タージマハルの左側面から朝陽をいれて撮ったものだ。
こちらで雇ったインド人ドライバーの「見るなら午前5時45分に入るといいです」というアドバイスに従って、その日は5時に起きた。タージマハルは首都ニューデリーから南東約200キロのアグラという都市にある。
ニューデリーからの日帰りツアーもあるが、「見るならちゃんと泊まったほうがいいです」ということだったので、こちらもアドバイスにしたがった。
西門ゲートに5時35分に到着。2組の白人カップルが並んでいた。私はすぐあとに続く。47分になって入場を開始。
入念なボディチェックと荷物チェックをうけて、巨大なドームを目指す。1組のカップルの男性がカメラを持って先に走っていた。私もすぐに追う。
西門の外からも、中に入ってからも巨大ドームは視界に入らなかった。ここは先を行く男性を追うしかない。別に走ったからといって福がめぐってくるわけでもないが、ゆっくり歩いている気分ではなかった。
「待てええ」ではないが、追うしかない。少しだけ古傷の右膝が痛むが、ここで歩くわけにもいかない。
先に行く男性は速かった。とてもではないが追いつけない。別に抜くために走っているわけではないが、なんとかく遅れたくなかった。100メートルほど走って左に折れる。城塞のような建物があり、中央に穴が空いていた。
男性はそこを入っていった。よく知っている。すぐに続く。門の手前から、向こうがわに白亜のドームが見えていた。くぐってすぐのところで、男性はアグラをかくように座ってすでにカメラを構えている。
300メートル以上先だろうか。これまで映像や画像で何度となく眼にしてきたタージマハルが鎮座していた。シンメトリーに構成された建物と庭園は人を静止させる。ゼイゼイいっている自分が戒められるかのようである。
美しい。想像していた以上に優麗な美を感じる。一瞬だけ鳥肌がたつ。
座った男性の頭ごしに何度もシャッターを切った。
ファインダーをのぞいた時に、ドライバーがなぜ朝1番で行けといったかがわかった。写真の中に他の観光客が写り込まないからだ。まるで絵はがきのような写真が撮れてしまった。
個人的にはあまりにも「ベタな写真」で、綺麗ではあるが好きではない。だから横にまわって、朝陽を入れてとった上の写真のほうが個人的には得点が髙い。
けれども、絵はがきがお好みの方もいらっしゃる。ご覧くださいませ。
ひとつ前のブログ(ここはどこの国でしょうか)でアジアの1国に来ていると書いた。今日はその国からのブログである。
旅にでると、普段とはまったく違うペースで1日が過ぎていく。当たり前のことだが、食べるものも行動パターンもすべて違うので、自身が試されているかのようだ。それが旅の魅力である。
ニューデリーから南西に260キロほど行ったジャイプルという都市で観光名所を観たあと、さらに100数十キロ南下したプシュカルという町にきている。
静かである。山に囲まれた町で、信号が1つもない。午前9時前、ホテルで朝食をとったあと、メインストリートに面した露天のカフェに座る。カフェといっても20年前に天幕をはったまま、埃をはらわずに商売をしているといった風情である。インドではあまりに普通の店だ。
テーブルはない。プラスチック製の椅子が歩道を眺めるようにして並んでいるだけだ。2人の男性がすわっていた。空いている椅子にすわる。自然に彼らと視線があい、軽く会釈する。
若い方が話しかけてきた。「プシュカルはいいだろう?」としきりに訊いてくる。「デリーに比べるとすごく静かだ」という会話から、話は続いては途切れる。また道路の方を向く。もう1人は片言の英語だけだ。
日本であれば通勤時間帯だが、あわてて勤め先に向かう人の姿が目にはいらない。のんびりとチャイのグラスを人差し指と親指でつまみながら、ちびちびとやる。
こちらは1人旅である。急かす人もいなければ、行かなければいけない場所もない。ゆっくりと朝食のあとの時間をすごすだけである。
目の前を大きなラクダが荷車をひいて通りすぎる。「ラクダだ」と思って目を見開いた。かなりのスピードで通過していく。だが、2人にとってはあまりに普通の光景らしく、目でラクダを追いさえしない。
片言英語の男のよこ顔に深いたて皺がきざまれていた。どうしたら頬にたての線がはいるのか気になったが、じろじろ見てはインド文化でも失礼だろうから、片言英語を聞きながら視線をチラッとたて皺に投げていた。
その理由がわかるわけもなく、彼がこちらを見るたびに笑顔をつくるという不自然なことになってしまった。50代に思えるが、もしかしたら40代かもしれない。英語がうまい男はもっと若い。口ヒゲが濃い。濃すぎて少し怖いくらいだ。
2人はチャイをすすりながら、ゆっくりと時間が過ぎていくのを味わっているかのようだ。特に何かをするというわけでもない。ときどき遠くで鳥の鳴く声がきこえた。
あえて職業は訊かない。向こうも訊いてこない。ただ「日本人か」という質問だけはきた。
経済活動という話をしてしまうと生産性が低いということになるが、彼らはカネでは買えない悠久の時間を手にしているのかもしれない。誰からも、いや妻からは「もっとしっかり稼いできてよね」と言われているかもしれないが、そのカフェに座っている間は本当に「時間をなくしている」。
あまりにゆっくりとした時間なので、ずっと座っていた。10時のおやつにサモサにカレーがかかった1品を食べた。それが20ルピー。チャイが10ルピーで、店をでるときに1.5リットルのミネラルウォーター(20ルピー)を買った。合計50ルピー、、、、日本円にして85円である。
会話が途切れたときに訪れる静寂。いや、音のない世界と書くべきか。
東京では夢にさえ現れない一瞬の寂寥が降りてきた。
オートリクシャー(3輪タクシー)で相乗りした女の子