社会を本音化させたインターネット

あらためてネットの凄さを思いしらされている。

4月30日、ネットマガジンの日経ビジネス・オンラインとJBPressに記事を書いた。特にJBPressに書いた米国で実証された「金持ちの子供は頭がいい」という記事が波紋を広げている。

ランキングやアクセス数(PV)はともかく、記事がすぐに他のニュースサイトなどに転載された。ネット原稿ではよくあることだ。

ただ2ちゃんねるにスレッドが立った。これまでも2ちゃんねるに扱われたことはあったが、いわゆるレスの数が今回はまる1日で1000本に達した。

2ちゃんねるはそれぞれのスレッドで、レス数の上限を1000本と決めているのでいっぱいである。私はオリジナルの書き手なのでレスを読むだけにしているが、相変わらず「2ちゃんねるらしい」コメントや書き込みが多い。

以前、私の書いた記事が炎上したことがあった。編集者は「堀田さん、2ちゃんねるでは『バーカ、死ね!』が『こんにちは』と同義語ですから、気にしないほうがいいですよ」と慰めてくれた。

今回の記事で、私は議論をあおるような持論をのべていない。問題の賛否両論をジャーナリスティックに書いただけだ。だから1000本のレスで「堀田佳男」を責めている人はほとんどいない。それより、レスを書いた人同士の本音の言いあらそいが繰り返されている。

ここに2ちゃんねるの本質、いやネットの核心がある。

ネットは人間の本音をまちがいなく顕在化させた。これまで隠れていた本音を表舞台におしあげてしまった。

本音というのは、ネット社会の前は限定された空間のなかでつぶやかれる心情であることがほとんどだった。自宅でテレビを観ているとき、芸能人を指して「ブスになったなあ」という本音は家族の中では許される。仲のいい同僚と居酒屋で酒を酌み交わしているとき、上司への悪口は翌日の糧にさえなっていた。

しかし、それはあくまでも気心がしれた人たちの間だけで許された感情や考えの吐露のはずだった。けれどもネットが壁を壊してしまった。

ネットは確実に社会を本音化させた。そこには、「この人もこんなことを考えていたのか」という共感よりも、そこまで公にしてしまっていいのかという疑問の方が強い。顔が見えないだけに、本音は冷淡に響く。

ネットの利便性は想像を上回るが、凶器にもなりうる、、、そんな恐ろしさを感じている。