堀田佳男 Profile
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メタ情報
カテゴリー: Thought for the day ― 2019年4月8日
30年前のあの頃

昭和から平成になってまもない頃、私は会社を辞めようかどうか迷っていた。まだアメリカで会社員をしていた頃である。

1989年の日記を読み返すと、日々の鬱積した不満がつづられている。上司や同僚に対する憤懣はほとんどなかったが、仕事そのものには満足していなかった。

アメリカには留学のために行き、当時からモノを書く仕事をしようと思っていた。小説家になりたいと思っていた時期もある。大学院卒業後、2つの会社に勤めたが、両社ともに「この会社こそが私の望む場所」という思いにはいたらなかった。

最初の米企業で永住権をとり、2番目の編集関係の会社は待遇的に不満はなかったが、仕事内容と会社という組織で拘束されることにだんだんと耐えられなくなっていた。毎日会社に行くことが辛かった。

はっきり言えば、留学までして「好きな仕事でメシを食っていない」という自分に腹がたっていたのだと思う。だが、実際に辞めるまでにはそれから1年近くの歳月が必要になる。

辞める前の準備として、日本の雑誌に原稿を書き始めていた。これは友人の紹介もある。また会社に内緒で日本人向けのワシントン観光ガイドブックの編集長もしていた。これは会社にバレて、あとで社長から注意されたが、それでクビにはならなかった。S社長にはいまでも感謝している。

dccherry4.8.19

結局、「辞めさせてください」と切り出したのは1990年春だった。だがフリーランスのジャーナリストとして独立しても、勝算は五分五分といったところだった。その頃の日記には「本当に食っていけるのだろうか」という憂慮がよく書かれている。

あれから29年がたった。最初は「ジャーナリストです」と名乗ることも恥ずかしいくらいだったが、その5年後には誰の経済援助も受けずにマンションを買うまでになった。

こう書くと自慢話になってしまうが、35年ローン(アメリカでは30年ではなく35年が一般的)を、しかもフリーの立場で組むのはなかなか大変なことだった。実は独立後3年たった時にマンションを買うつもりで不動産屋に行ったのだが、フリーの人間は2年分の確定申告を提出しないとローンが組めなかった。

それはその前の2年間、安定した収入があって、月々のローンを支払っても生活できるかどうかを見定められるということだった。その時のローン申請は見事に却下された。悔しかった。

「ヨーシ、やってやる」

それで5年たって、ようやくローンが組めるまでになったのだ。いま思うと懐かしいし、過去30年近く、多くの方にお世話になってここまで来られたというのが実感である。感謝の言葉しかない。これは私の本心である。