英語のむずかしさ

私は原稿を書いたり、放送メディアに出演したり、さらに講演や大学での講義などで生計をたてている。

ワシントンでジャーナリストとして独立したのが1990年。以来ほぼ30年間、メディアの世界で生きてきた。けれども独立した直後は原稿の依頼が少なく、翻訳や通訳、さらに日本語のナレーションのアルバイトをしていたのを思いだす。

アメリカに渡って8年目だったので、英語はそれなりに使えていた、、と思っている。だが、いつも内心ヒヤヒヤしていた。翻訳はまだしも、通訳の仕事は「瞬間の勝負」なので、英語のわかる人の前では冷や汗ものだった。

というのも、プロの通訳になるための訓練を受けた経験がなかったからだ。同時通訳は太刀打ちできなかったので逐次通訳を引き受けていた。それでも今思うと、ずいぶん無謀なことをしていたというのが素直な気持ちだ。

自分から「通訳としての仕事をください」と手を挙げたことはなかった。最初は「できる人が他にいないから、堀田さんお願いします」といった流れで仕事がきていた。よく引き受けたものである。

慣れもあるが、私情をはさまずに的確に相手の言ったことをもう一つの言語にしていくことは大変な作業だ。すべてを訳しきれずに、肝心なところだけを通訳した場面が何度もあった。わからない単語も出てくる。だからいつも冷や汗をかいていた覚えがある。

何故こんな話を書いたかというと、今日、編集者とランチを共にした時、英語の本の話がでたからである。いま本屋に並んでいる本の中には数百語、いや数語の英単語の使い方をマスターすれば、英語はできるようになるといった「誇張本」がまかり通っている。ほとんどジョークの世界である。

英米人は大学を卒業したあたりで、英単語を4万語ほどは知っているかと思う。日本人がそのレベルに達することは難しいが、私の肌感覚では2万語くらいをものにしていないとCNNを自然に聴き流せないだろうと思う。

だから数千語でもゼンゼン足りないし、話ができているレベルにならないというのが実感である。

「誇張本」には誤魔化されないでほしい。