トランプ発言で右往左往の高官たち

「ドナルド・トランプ大統領(以下トランプ)は紛れもなくウソをつくことを楽しんでいます」

米首都ワシントンで中間選挙を取材中、共和党の選挙戦略官ロン・クリスティー氏がつぶやいた。2016年大統領選時から、トランプは何度も虚偽発言を繰り返しており、一向に収まる気配がない。本人はためらいもなく大胆発言を続けている。

トランプ政権の高官が匿名という条件で、トランプの言動についての取材に応じてくれた。

「トランプ政権に仕えていても、全員がトランプ支持であるわけではありません。トランプは数多くのウソをついていますから、周囲にいる政府職員はずいぶん落胆させられています。安倍晋三首相も本当は呆れているのではないでしょうか」(続きは・・・続嘘の機銃掃射で世界を震撼させるトランプ大統領

 

Media appearances

今後の放送メディア出演予定:

 

・10月30日(火)10:25amから(出演は11時前から) テレビ朝日『ワイド!スクランブル

・10月31日(水) 8:59pmから   BS11『報道ライブ インサイドOUT

・11月1日(木)9:00amから 文化放送AMラジオ 『くにまるジャパン 極 

 

アメリカでの中間選挙取材から戻り、現地でえた情報を発信していきます。

発信するといっても、放送メディアに関してはこちらから手を挙げても出演させてくれないので、私の場合、すべて先方からの依頼で出演となります。ありがたいことです。活字では明日から『日刊ゲンダイ』で短期連載が始まります。

忘れ物

アメリカでの取材で今回、イタイ忘れ物をした。日本を発つ前、国際免許証を自宅に置いてきてしまったのだ。アメリカで車を運転できないというのは、小学生に自宅のリビングだけで遊ばせるような閉塞感を味わわせるくらいのものがある。

レンタカーはすでに予約してあった。ワシントンのレンタカー会社のカウンターで初めて国際免許証がないことに気づき玉砕。本当に血の気が引くのを感じた。

ワシントンは地下鉄とタクシーで市内を動けはするが、やはり車があるのとないのでは大きな違いがある。ただ久しぶりに徒歩での移動をすると、車だけで動いていた時には見えなかったものが眼がはいる。

20181019washington1

Rosslyn station in VA

不動産屋の広告や新しいビルの中に入っている会社がわかったりする。車を運転しながらだと、「ここに不動産屋がある」ことはわかるが、ドアに貼り出された物件や値段まではわからない。

車内からだと「新しいビルができた」ことはわかるが、「最上階が展望台になっている」ことはわからない。それが当ブログで10月23日にお伝えした展望デッキだった。

ビルの横を歩いているとき、「また新しいビルができた」と思いながら中をのぞくと「展望デッキ」という文字が読めた。すぐに入ってみる。22ドルで上までいけるという。

バージニア州アーリントンに建つビルは、周辺ではワシントン記念塔(169m)に次ぐ高さ(131m)だった。高度的には息を飲むというより2、3回のまばたきくらいのものだが、新しいものに出会えた喜びは大きかった。

徒歩も捨てたものではないのである。

危険国に向かうということ

毎日世界中でいろいろなニュースが起き、物凄い本数の記事や映像が溢れている。できるだけ多くの事象に接するようにしているが、限界がある。いくら「好きなことを仕事にした」とはいえ、すべてのニュース分野で精通できるわけではない。

アメリカで中間選挙の取材をしていると、オバマやヒラリーなどに宛てた爆発物送付事件が起きて、メディアの関心が一気にそちらにシフトしてしまった。日本の新聞では爆発物送付事件としているが、死傷者がでていなくとも紛れもないテロリズムであり、テロ未遂事件とすべきだろう。すでに容疑者は逮捕された。

日本のニュースに眼を向けると、日中首脳会談を筆頭に、安田純平が無事に帰国したニュースが伝わる。無事でなによりだったと思うが、安田の言動にはいま賛否両論がまきおきている。

彼については2016年3月19日の当ブログで私見を述べたとおり、私はいまでもシリア入国は無謀だったと考えている。戦場ジャーナリストという点では、15年2月(同じジャーナリストとして思うこと)でも書いたとおりで、考えに変化はない。安田の今回の帰国は残念だが「負け」であり、シリアでの丸腰の取材は私にいわせれば無謀と言わざるを得ない。

こうした形での帰国はたぶん、実は本人がもっとも無念に思っているだろうと思う。リスクが伴うことは最初から彼はよく理解していただろうし、拘束され、また殺害される危険性も認識してシリアに入ったはずだ。だが、アルカイダ系のヌスラ戦線の支配地域に足を踏み入れることは、丸腰で犯罪者組織に分け入っていくようなものでしかなかった。

日本政府が渡航自粛といったところで、私も北朝鮮やホンジュラスなどに入って取材をしてきたし、危険国でのリスクはよく分かっているつもりだ。国や地域、さらに時間の経過によって状況が変わり、リスクも変化する。それでも自分の身を守ってこその取材のはずだ。

私がヌスラ戦線の兵士であったら、安田と出会ってまずスパイであることを疑う。ジャーナリストと名乗っても、もっともカモフラージュしやすい職種であるため拘束する。シリアの状況は3年前と少しちがうが、戦場であることに違いはない。身代金を取るビジネスの一環として利用しさえするだろう。

フリーのジャーナリストが現地に入ることで「テロ抑止力が少しは働く」「誰かが報道しなければ」といった意見があるが、希薄で曖昧な言説だと思う。ジャーナリストの仕事に価値を置いていただけるのは嬉しいが、世界を動かすことはそれほど易しくないのが現実だ。

私が行くなら漠然と領内にはいるのではなく、アラビア語をマスターし、あらゆる手をつくしてヌスラ戦線の首領のインタビューをとりつけたり、内部情報提供者を確保するなどの具体的な計画の段取りができないかぎり入国しない。そして民兵をつけるか米兵に帯同する。

彼らがどういった悪行を繰り返してきたのか、被害者の声を聴かなくてはいけない。彼らの胸ぐらをつかみにいくくらい内容のある報道でないと、何が変わるというのか。それができずして、単に現地入りするのはリスクが高すぎる。(敬称略)

1セントとシャープコート

ワシントンでの生活を引き払って東京にもどったのは今から11年前のことだ。

それまで25年間もアメリカにいたので、ささいな言動から考え方までずいぶん影響を受けた。いまでも心の中に根をはるようにして残っているものは多いが、表面的なところはすでに日本スタイルに戻っている、と思っている。

だからアメリカに戻ると忘れていたことがいくつもでてくる。昨日、2つほど「そうそう、アメリカはこうだった」と呟いたことがあった。

1つはスーパーのレジでの出来事だ。合計金額は11ドル38セント。クレジットカードでもよかったが、財布の中に11ドルがあることはわかっていた。あとは38セント。

ズボンの右ポケットにいつも小銭を入れており、足りると思ってすべてを出すと1セント足りない。私は「1セント、ショート(足りない)」と言って、すぐに財布から1ドル札をもう1枚だそうとした。

すると背後に並んでいた女性が、「はいこれ」と言って1セントを出してくれた。もちろん見ず知らずの人だ。私はありがとうと言って受けとり、「そうだったそうだった」と思いながら笑顔でスーパーをでた。

もうひとつは今年6月にオープンしたビルの展望デッキを訪れた時のことだ。

arlington10.23.18

展望デッキから首都ワシントンを眺めて地階に降りるエレベーターを待っているとき、大きな黒人女性が私のコートを指差しながらヒトコト。

「シャープコート!」

私ではなく、コートがカッコイイと言われたのだが、アメリカでは知らない人のコートや靴、カバンを褒めることがよくあるのを思いだした。しかもかなりの声量で、周囲の人が聞こえるような声をだす。

特に黒人の男性や女性が口にすることが多い印象だが、見ず知らずの人を褒める文化は日本にはない。

「そうだったなあ」と思うと同時に「いいなあ」という思いに浸りながらエレベーターで地階まで降りた。