喧嘩のあと

私は有楽町にある日本外国特派員協会というところに出入りしている。正会員でもある。

同協会の会員はいま2000人ほどだが、実は正会員といわれる人たちは300人ほどでしかない。私はアメリカに25年もいたので、正会員にしてもらっているが、あとは準会員といわれるメンバーで構成されている。

準会員のほとんどは日本人で、財界、政界、学界、さらに国内のメディア関係者である。むしろ、そうした方々がいないと外国特派員協会は成り立たない。

fccj6.21.17

外国特派員の人間模様は実に過激で、滑稽で、興味深い。辟易させられることもあるが、仲のいい記者が何人もいる。全員がヨーロッパ人である。

彼らの共通点は、米英という英語圏の国に住んだ経験がないにもかかわらず、恐ろしく英語が堪能なことだ。発音にクセはあるが、ほとんどがネイティブ・スピーカーと変わらないスピードで話をする。3、4カ国語が堪能な人も少なくない。

ただ語学がうまい彼らでも、日本語を流暢に話す人はほとんどいない。アルファベットではない違う言語体系の言葉をマスターすることがいかに大変であるかを証明している。

だから逆に、日本人が英語やフランス語をマスターすることがいかに大変かがわかるのだ。

彼らとはさまざまなトピックの話をする。ほとんどの記者が最初から本音トークを繰り出してくるので、胸がすく思いがするが、感情の起伏の激しい記者も多く、私はこれまでに3人と怒鳴りあいの喧嘩をしている。

その中の2人とは仲直りをしたが、もう1人とはその後、口をきかなかった。彼はもう同協会にはいない。

それは国家外交に通じるものがある。日本人の多くは争いを好まず、外交でも融和路線を推し進める。粗暴なトランプでさえも安倍はスリスリとすり寄って、相対する姿勢を示さない。

それが「日本らしさ」と言えばそれまでだが、時に自己主張も必要で、喧嘩の後に見えてくる関係もあるのだ。(敬称略)