おまけのディラン

 

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実は昔からあまり好きな歌手ではなかった。

ノーベル文学賞を獲った直後なので、大きな声で「好きじゃない」と言えない空気があたりを覆っている。

私の年代ではボブ・ディランを聴いていた人は多いが、70年代初頭、ビートルズとサイモン&ガーファンクルが私の洋楽の8割を占拠していたので、ディランは隅の方に霞んでいた。

『風に吹かれて』や『ライク・ア・ローリング・ストーン』など、いまでも口ずさめる曲はあるが、彼のことを「ファンです」とは言えなかった。

15年ほど前(ワシントンに住んでいた時)、ディランとポール・サイモンがワシントン郊外にあるニッサン・パビリオンというコンサートホールにきたのでチケットを取って聴きにいった。

2人が揃って歌ったのは数曲だけで、あとはそれぞれが自分たちのバックバンドでオリジナルの曲を歌っていた。私はポール・サイモンを天才と位置づけている大ファンなので、その日もサイモンを聴くことが目的で、私にとってディランは「おまけ」に過ぎなかった。

ディランの歌はほとんど全曲にアレンジが施されていて、『風に吹かれて』でさえ「エッ、これ何の曲?」と言ってしまうほど判別がつかない。それほどディランは音楽の色が濃かった。

新しい色を創り、キャンバスに投げつけるようにして音楽を生みだしている印象がある。詩はその中に練りこまれていた。音楽性が強すぎて、入っていけないのだ。

だが今回、練りこまれた詩が評価されてノーベル賞を受賞。大変喜ばしいことだが、私の中ではいまでもおまけのディランなのである。